新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

あちこちに教え子がいます。

 今日は医療費の還付申請に行ってきました。これは亡くなったツマクマの支払いが限度額を越えていたものです。厳密にはそれで行ったのですが、そちらは事情があってでず、今回はおじさんの分だけでした。6000円近く返還されます。

 ところで驚いたのは市役所の担当者が教え子だったことです。大体1年間に300人程度教えます。6クラスくらい毎年担当するのです。

 相手はおじさん一人ですが、こちらは400人ですからとても顔を覚えられません。よほど秀才かワルか生徒会などをやっていないと覚えられないのです。

 今日あった教え子は声と名前で分かったと言っていました。今住んでいる町で2番目に勤務した進学校の生徒さんでした。市役所には別の教え子もいます。

 今住んでいる町で29年間教えました。ですから、1万人以上教えた計算になります。いろいろなところで教え子に出会います。郵便局や銀行が多いです。

 近くの銀行に行った時やはり教え子から声をかけられました。その教え子は何とその銀行の支店長になっていたのです。小なりとは言え支店長ですから、応接室に通されお茶まで出されました。

 支店長自ら出口までお見送りするのですから、他の行員さんはどんな人だろうと思ったと思います。最大の出会いは亡くなったツマクマの訪問看護をしてくれたのが教え子でした。

 それもおじさんの担任したクラスの生徒で、おじさんの家にも来たことがあったのです。初め会った時卒業して30年以上経過していたので、教え子だとは分かりませんでした。

 結婚して名前も変わっていたのです。もちろん相手はおじさんの名前を見てすぐわかったそうです。退院するにあたっての話し合いで告白されて本当にびっくりしました。

 でもこれほど信頼できる相手はいません。もちろんすぐに彼女のことは思い出しました。ある時はパトカーから声をかけれらたこともありました。

 もちろん「先生」と呼ばれたので、職務質問ではないとは思いましたが、自衛隊に行った教え子に会ったこともあります。近くの航空自衛隊の基地祭に行ったら教え子がいました。

 自衛官になっていたのです。中国に行くとき空港の国際線出発ロビーの売店にも教え子がいました。飛行機を待っているとき声をかけれらたのです。

 ある教え子は某テレビ局の役員になっていました。こちらは直接会ったのでなく新聞で昇格しているのを見たのです。同姓同名とはちょっと考えられません。以前年賀状で人事部長になったと書いてあったからです。

 教師をするといろいろなところで思いがけず教え子に会うものなのです。教師冥利につきるとも言えます。明日はのんびり過ごします。