新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

聖書における奇跡について考える

 今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。旧約聖書でも新約聖書でも多くの奇跡が出てきます。奇跡というのは超自然な出来事を言う意味ではありません。

 奇なる跡なのです。つまりめったに起きない出来事の意味だと思います。奇跡と言われる出来事に中には科学的な説明ができるものも結構あります。

 今日教会学校の説教で取り上げたエリヤの奇跡の物語もそうです。ただ種明かしをすればすべて終わりというわけでもありません。

 まずエリヤの奇跡の話とはどんなものでしょう。エリヤの話は旧約聖書列王記上18章以下の出来事です。古代イスラエルでは最初王はいませんでした。

 緊急事態になると士師と呼ばれる人が選ばれて軍を招集し戦闘を指揮したのです。しかし、近隣の部族では王様が生まれるようになります。それでイスラエルでも王が選ばれるのです。

 それがサウル王です。サウルの後有名なダビデ・ソロモンと続きますが、後に王国は南のユダ王国と北のイスラエルに分裂してしまいます。

 今日取り上げたエリヤは北のイスラエル預言者です。当時の王アハブはシドンという異邦人の王の娘を妻にします。イゼベルという人です。彼女は地元の神である「バアル」を持ち込みます。

 「バアル」神は豊穣の神です。イスラエルの神とは別のものです。モーセ十戒にもあるように「私の他何者おも神としてはならない」のに主なる神でなく別の神をイスラエルの人は拝むようになったのです。

 そんな中干ばつが起こります。バアルの預言者たちは何とかして雨を降らそうとしますが失敗します。実はこの時エリヤはある提案をするのです。

 祭壇を作って薪を積みその上に殺した生贄の牛を乗せるのです。ただし、そこに火をつけたりしてはいけないのです。バアルの預言者たちは皆失敗します。

 エリヤは祭壇の上に殺した牛を置き、その周りに溝を掘らせて祭壇の牛とまきに水を3度もかけさせます。そして祈ると「主の火が降って」すべてを焼き尽くしてしまうのです。

 読者の方の中でカンの言い方は水にポイントがあると分かるでしょう。この水は間違いなく中東にある石油だと思います。ちょっと見れば石油は水に見えます。

 ただ天から火が降って来てそれらを焼き尽くすのです。もちろんこれは雷だと言うことで説明がつくでしょう。一見奇跡に思われたことが実は科学的に説明がつくのです。

 その後海の方から雲が出て雨を降らせます。エリヤは雲の動きから雷が近いことを悟ったのでしょう。しかし、奇跡とは最後のひと押しなのです。

 つまり奇跡でもない限りどんなにお膳立てしても、タイミング良く雷が落ちなければ、笑いものになってしまいます。すべてのお膳立てと観天望気を行ってもタイミングよく自然現象が起こるはずはありません。

 科学の発達した現代においても気象を的確に予想することは難しいです。その瞬間に都合よく雷が落ちるなど奇跡でしかありえないのです。

 神の力は思いもよらないところで発揮されます。ツマクマが抗がん剤治療ができなくなって緩和ケアーにかかり自宅療養するようになりました。

 その時緩和ケアーの主治医はおじさんの50年前の教会学校の生徒で、おじさんに洗礼を授けた牧師の息子でした。訪問看護を担当する看護師はおじさんの30年前の教え子で、おじさんの家にも来たことのある生徒でした。

 最も必要な時、50年前や30年前の教え子が都合よく出現するなど奇跡以外あり得ないでしょう。ちなみにその時、主治医は60才を越え、看護師は50歳を越えていました。出会った時主治医は中学生で、看護師は高校生でした。主なる神は全てのものを動かす力をもっています。

 最も必要な時に最も必要なものを与えてくださるのです。ツマクマもこれ以上のスタッフはないと言っていました。がんになることは不幸ですが、その中にも神の力が働いていると思いました。

 明日はのんびり過ごします。