大川小訴訟について
昨日から次女の家に行っていました。次女が忙しいのでそのお手伝いです。ところで、大川小訴訟の判決がでていました。
判決は原告側の勝訴でした。確か市と県に12億近くの損害賠償が認められたようです。今日の報道では県と市は上告することにしたようです。
原告側はなぜ子供達が死んだのかその理由について裁判所が追及していないのは許せないとしていました。お金より真実が知りたい、しかし真実を知るための訴訟はできないのです。
民事訴訟は何らかの現実的利益が対象とならねば起こせないのです。原告側の求めた金額はその金額のお金がほしいというより、子供達にはそれだけの価値があるのだと言いたかったのでしょう。
親たちの無念の気持ちは良く分かります。ただ定年まで教師をしていたおじさんとしては複雑な気持ちです。訴えを起こした親たちも何があったか薄す薄す分かっているのだと思います。
なぜならこんな小さな小学校ですから教員のことは皆わかっていると思います。どの先生がどんなことをこんな時言うだろうということがです。
実は全ての事実を知っている教師が生き残っています。確か教務主任をしていた人です。ご存じの方も多いと思いますが、学校では校長・教頭の次のポストが教務主任です。
教師の筆頭とでもいえる立場です。そのため優秀な教師が選ばれます。管理職と平教員をつなぐポストです。ですから、この先生が全てを証言すれば、その時何があったか分かるのです。
単純に言えば避難について教頭が指示しそれに教員が従うことになります。普通の会社であれば上司が部下に命令し、軍隊であれば指揮官が兵士に命令し兵士は実行するだけです。
ところが学校はちょっと違うのです。こんな危機的な状況でも教頭は先生たちの意見を求めるのです。もし大川小の教頭が決断したのなら、運動場で50分近くとどまっていることはないでしょう。
もし様子を見るように教頭が決断してその場にとどめたのなら全て教頭の責任です。教頭の判断ミスとなるでしょう。ところが、教頭は赴任して来てまだ間がなくこのあたりの地形について不案内だったようです。
そうなると教頭も即断できないので教師たちの意見を聞くことになります。この場合、誰か有力リーダーに当たる教師がいると意見を具申してそれに皆が同意することになります。
もし有力なリーダーがいないと皆でああでもないこうでもないと言っているうちに時間がどんどん経過するでしょう。近くの裏山でなく別の場所に移動しようとしたところを見ると、裏山に避難すべきかどうか議論したと思われます。
来て間のない教頭は裏山についてそれほど知らなかったと思います。現在では裏山に逃げれば助かったと分かりますが、裏山の状況が分からないし、もし山が地震で崩壊したら大変です。
教員は慎重なのでもしとか万が一ということを考えます。予想外の事態の中でみないろいろなことを主張したと思います。保護者は誰が何を言って、その結果どうなったかを知りたいのでしょう。
しかし、それを教育委員会が知っていても保護者には告げられないと思います。保護者にしては、あの教師があんなことを言ったからこんな結果になったということになります。
「相棒」でも警察官の不祥事を警察が握りつぶす話がありました。今回の出来事は不祥事ではありません。緊急事態に慣れていない教師たちが、判断を誤った事例です。
もし裏山に避難していて裏山が崩壊したら、裏山に逃げたことを主張した教師は非難の的になるでしょう。おじさんも子供さんを亡くした保護者に方に気持ちも良く分かりますが、どう考えてもこの学校の教師はそれなりにベストであれと思って判断したと思います。
すぐ逃げれば良かったという意見もありますが、状況を冷静に判断するというのも必要なのです。判決ではなぜ裏山に避難しなかったのか、また教師たちが何を話し合ったかについては触れず、逆に子供を失った保護者の気持ちも分かるとして慰謝料を認めました。
なかなか良い判断だったと思います。上告しても多分これ以上の判断は出ないでしょう。控訴棄却で終わると思います。最高裁まで行っても同じです。
ただ裁判をすることで保護者の気持ちが少しでも収まるなら良いと思います。それにしても心の痛む出来事でした。明日はのんびり過ごします。