新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教会修養会がありました。-「讃美歌21を学び、歌う}

 今日は日曜日なので教会です。毎年この時期に教会修養会があります。修養会と言うと分かりにくいのですが、世にいう研修会です。。
 毎年何かのテーマを決めて勉強します。外部の講師を呼んでやったこともあります。今教会の最大のテーマは来年から讃美歌を変えることです。
 今使っている讃美歌は長い歴史のあるものです。成立は1954年です。ですから約60年以上前に制定されたものです。おじさんが教会に行き始めたのは1960年代の終わりころですから、その時も讃美歌を使っていました。
 おじさんの信仰生活のほとんどがこの讃美歌とともにあったのです。しかし、成立年代が古いだけに問題もありました。最大の理由は歌詞が文語で書かれている点です。
 たとえば誕生日の讃美歌に「げにも生くるはただならじ」という一節があります。「げに」というのは古語で「なるほど」という意味です。口語でいえば「なるほど、生きるということは大変なことだ」となります。
 確かに現代を生きる人には難しすぎると言えます。ただ、文語というのはそもそも文章を書くのに適した言葉なので音符には乗りやすいと言えます。
 と言っても所詮は慣れの問題なのでしょう。実は現在の讃美歌も一度編集された後讃美歌2編として新しい讃美歌が加えられたのです。今回使用する讃美歌21にしても作られてから20年近く経過します。もう一つ讃美歌21になった理由に現在使用している讃美歌には現代では差別的な表現と考えられる言葉が使われているのです。
 実は初代の牧師の退任前に一度讃美歌21を使う計画がありました。そのため礼拝後に讃美歌21の練習などもしました。しかし、2代目の牧師の時代、讃美歌21を使う計画がなくなりました。
 今の牧師になっていよいよ讃美歌21を使うことになったのです。今回じっくり讃美歌21の内容を見てびっくりしました。
 これまで使っていた讃美歌と内容が全く異なっているのです。讃美歌の中には今使っている讃美歌を掲載しているものもあります。と言ってもメロディーだけが同じで歌詞はことなっています。
 歌詞の特徴は口語的というか会話的なのです。「してください。」と言った表現になっているのです。その昔文語から言文一致運動により書物の言葉が変化したことがありました。
 その時文語に親しんでいた人は口語的な表現に違和感を感じたと思います。「我行かんとほっす」という文章が「私は行きたいと思います。」になるのですから。
 しかし、これも今では普通なのですからしかたありません。欧米では讃美歌を20年単位で変えるそうです。日本の場合はそこまでは無理でしょう。
 ところで讃美歌は需要が少ないので一冊が高いです。聖書の場合はクリスチャン以外でも読む人がけっこういますし、一家に一冊みたいな感じがあります。
 讃美歌の場合はクリスチャン以外の人はまず持たないので(礼拝以外使う機会がない)売れないのでしょう。前の讃美歌は1986年に買ったのですが、2500円しています。讃美歌21も1997年で2000円です。ただし、今使っている讃美歌よりサイズは小さいです。
 教会学校でも来年からこの讃美歌を使って礼拝が行われます。慣れるまでは以前使っていた讃美歌で讃美歌21に乗っているものを使う予定です。
 時代とともに教会の礼拝も変わっていきます。明日は久しぶりに銀行周りをして通帳記入です。また、円相場と株式相場も気になります。