新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

書道の講演会に行ってきました。ーおじさんの思い出とともに

 昨日は所用で忙しくて家に帰ったのは夜の9時近くになりました。おかげで予告通りブログは書けませんでした。その間に某電機株が年初来高値を更新していました。うれしいです。
 さて今日は予告通り書道の講演会に行ってきました。1時間半きっかりに終わったので思ったより早く家に帰れたのでこれを書いています。
 以前も書いたように絵画には興味がありますが、書道・音楽にはほとんど興味がありませんでした。しかし、このごろひょんなことから知り合った方から書道講演会の話を聞きました。
 以前と違って時間は沢山あるので思い立って聞きにいきました。本来は4回通しの講演会で今回が3回目にあたります。書道だからきっと字の書き方とかだろうと思ったら全く違っていました。
 講演会全体のタイトルは「日本語・日本文化・日本人」で今回は「ひらがなと文化とその心」でした。まず講演者(石川九楊氏)は日本語は「漢字語」と「ひらがな語」から成り立つ定義します。ちなみに講演者は上野の森美術館で展覧会を開くレベルの人です。
 今回はひらがなを取り上げているのです。詳細は書きませんが、今まで考えたこともなかった視点から文字と文学を考えることができました。
 九楊氏は「掛け筆」という概念を提示します。つまり、草書体でかかれば文章の文字に二つの文字が掛けられていることもあるというのです。ところでおじさんも国文科の大学生の時古典文学演習で草書体を読まされました。
 崩し字でかかれているので最初はチンプンカンプンでした。そもそも一文に何文字書かれているのすらわかりませんでした。ただ日本語なので、途中まで読めると後はたぶんこの内容になるだろうと想像できます。
 崩し字辞典や崩し字表のようなものがあるのでそれと引き合わせて読むと何となくわかるようになります。後はなれで段々読めるスピードがアップします。
 おじさんがテキストとして使用したのは三條西実公本(さんじょうにしさねかたぼん)の源氏物語でした。帚木(ははきぎ)の巻です。指導教官は近くの大学の源氏物語の大家でした。おじさんもあの有名な先生がよくきてくれたと思うほどの方です。
 当時は大学紛争の真っ最中で、教室の外ではアジ演説の声がスピーカーで聞こえる中淡淡と授業は進みました。指導教官の先生は体が弱く一度授業中に倒れられました。すぐに学生が保健室に行って看護師さんを呼んできました。
 この授業のクラスでは当時はやった教授を監禁するの反対で学生は皆先生のために必死でした。試験の方は大ドジをしました。問題は草書体の文を現代表記にするのです。おじさんは完璧に読むことができました。しかし結果は良でした。
 後でしまったと思いました。なぜなら草書体の古文には句読点や濁音は一切ありません。そのまま忠実に現代表記になおしても、自分で想像しながら句読点や濁音を書かねばならなかったのです。おじさんはおっちょこちょいなので早とちりしたのそのまま句読点や濁音抜きで書いたのです。
 その授業でならった言葉が今回の講演ででていました。一つは高野切れです。一冊の歌集の一部だけが切り取られて保存されるのを切れといいます。それが保存されている場所がその前に付くのです。高野切れといえば高野山に残されて古今和歌集の断片ということになります。
 それと見せ消ちです。本文を写すとき間違うことがあります。そんな時、墨などで傍線をひいたりすると汚くなるので、字の横に点を書いて、ここは間違っていますよと示すことです。
 一番印象に残ったのは漢字語とひらがな語の対立です。文と文の間を開ける書き方や行ごとに書き始めを下げる書き方を分かち書きと言います。
 九楊氏はこの書き方は上位である漢字語と下位であるひらがな語をバランスよくするための書き方だというのです。事実漢字は男手、ひらがなは女手とも言われます。
 漢字語は公的な分野でひらがなを私的な分野で使われました。それが一番良くでているのが土佐日記の冒頭部分です。男もすなるという日記は漢文の日記です。それを女もしてみむという日記はひらがななのです。
 当時の言語意識が良くでています。ひらがなで人に見せる手紙や和歌以外のものを男性が書くというのは現代でいえば、男性がスカートをはいて繁華街を歩くようなものなのです。
 その他いろいろ学びました。とても緊張感のある良い講演でした。120人近い人が来ていて、会場はほぼ満員です。次回は来年の2月くらいにありそうです。登録をしたので、来年案内状が来ると思います。
 月曜日は美術館で陶芸に関する講演を聞きに行きます。これも前述の方から紹介されたものです。明日は日曜日なので教会です。