マリアの決断ー不条理を生きる
今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。大人の礼拝の方は出エジプト記なので、読者のみなさんにはなじみがありません。
今日の教会学校の説教では受胎告知を取り上げました。受胎告知は西洋絵画ではよく取り上げられています。読者のみなさんも見たことがあると思います。
天使ガブリエルがマリアにイエスの懐妊を告げにくるのです。そこまでご存じの方も細かい会話はご存じないでしょうから取り上げてみました。
結論から先に言えば、イエス誕生の物語は、マリアが処女懐妊したことより、マリアが身に起こったしんじられないほどの不条理を受け入れたことにあると思います。
日本では処女懐妊など非科学的だということばかりが議論されますが、聖書をよく読むとこの物語の中心がどこにあるかが分かります。別の聖書箇所(マタイ福音書)マリアの懐妊を知って夫ヨセフが悩む場面があります。
戻りますが、受胎告知ではまず天使ガブリエルがマリアに「おめでとう。恵まれた方」と呼びかけます。実はマリアにとっては何のことか分からなかったのです。
マリアはこの言葉に戸惑いとあります。普通天使からおめでとうと言われたら喜ぶところなのですが、マリアは何のことか考え込んだとあります。
次に衝撃的なことが告げられます。何とあなたは身ごもって男の子を生むと言われるのです。婚約中のマリアにとってこれは衝撃的な出来事でした。婚約中なのに別の男と関係を持った石打ちの刑(死刑)になるのです。
しかし、毅然として自分に与えられた不条理な運命を受け入れる姿は感動させられます。マリアは最後にお言葉通り、この身になりますようにとまで言うのです。それは自分が主のはしためつまり召使だからなのです。
召使はどんな時でも主人の言うことを聞かなければなりません。それが道理に合わないことであってもです。今マリアに告げられたことはまさにそれなのです。そこに受胎告知の物語の中心テーマがあると思います。
そこにはマリアの主なる神への絶対的な信頼あるいは信仰があると思います。
人間生きていると多くの不条理な出来事に遭遇します。それをどう受け取るかマリアの神への信頼は確かに心を打つものがあります。
明日は所用で忙しいのでブログはお休みするかもしれません。