「情けは人の為ならず」についてー低い日本の思いやり指数
今日も株式相場は値上がりしていましたが、おじさんの持ち株は頭打ちです。先に値上がりしたものから、頭打ちになっているようです。おまけに対ドル相場も115円前後で停まっています。まあ、じたばたしても仕方ないので様子見です。
今日ダイヤモンドオンラインというサイトをみていたら、日本はおもてなし大国ではあるが思いやり指数は低いという記事を見ました。
おもてなしは外部の一時的な客に対してです。ところが、思いやりは内部の人に対してです。タイトルに書いた言葉は、よく誤解して理解されている格言です。誤解は「情けを人にかけると、その人がそれに甘えてだめになるからかけない方が良い」というものです。
しかし、本当の意味は「情けをかけるというのは人の為んでなく自分のためなのだ」ということです。人にかけた情けがまわりまわって自分のところに戻ってくるというものです。
コスパ(コストパフォーマンス)の考えなら、人に思いやりをかけても、いつそれが自分に戻ってくるか分からないし、全く戻ってこなかったら、情けをかけた分損だということになります。
しかし、そもそも相手にかける情けやおもいやりは無償のものなのです。無償つまり後から戻ってくるのを期待しないものなのです。それゆえ価値があるのです。
愛の無償性という言葉もあります。愛情はそもそもそのお返しを求める者ではないということです。自然かつ自発的なものなのです。親が子供に愛情をかけて育てるのは、後で何か良いことを求めてやるはずはないと思います。
孟子も、もし小さな子供が井戸に落ちようとするのを見たら、人ははっとして助けようとするだろう。それはなぜか、その子を助けて両親から何かを得ようとするためだろうか、また助けないと近隣の人から非難されるからだろうかと言います。
人間の自然の情からなのです。このように人間は本来同情心などをもっているというのが孟子などの儒教の考え方です。孔子も、人間が一生これを守れば間違いないという言葉がありますかと弟子に聞かれた時、「それ恕か」と答えます。「恕」とは思いやりの心と言う意味です。
続けて「夫子の道は忠恕のみ」と言います。立派な人の生きる道はおもいやりの心であるというのです。聖書でも「あなたがしてほしいことを他人にしてあげなさい」と言います。
最近老後に必要なお金の話が多くあります。おじさんの哲学では、おもいやりのあるとことにはお金も入ってくると言うものです。商売を考えても、困った時に思いやりの心で対応してくれた人には、良くなった時お返しをしてくれます。困った時に、全く思いやりをみせずひどい扱いをし、こちらが良くなってすり寄る人を信じるでしょうか。
イソップ物語にも困った時に助けてくれるのが本当の友人だという話がでてきます。もちろん、おもいやりの心と言っても限度があります。
お金がないから連帯保証人になってくれと言われても困ります。ただ、自分は保証人になれないけれど、精一杯のことをするということはできます。
仏教の言う因果応報を実感したこともあります。何十年も前の教え子とあって笑顔で交換することもできます。それは何十年も前に精一杯心をこめて接したからです。
まもなく70才になろうとしている今、思いやりの心の大切さを身にしみて感じています。老後はお金がなければ大変ですが、お金だけで過ごせるものでもありません。
明日は授業とポステイングの準備で忙しいのでブログはお休みです。