偶像崇拝の否定ー十戒の第二戒
先週は東京に行っていたので教会は休みました。新年最初の教会です。今十戒についての説教が続いています。以前映画になったこともあります。
第ニ戒が「あなたはいかなる像も造ってはならない。」というものです。これはなぜなのでしょうか。そもそもユダヤ教の神は主なる神と言われていますが、本来名前はないのです。
「ヤハウェイの証人」ではゴロがわるいというのもあるでしょうし、日本語としても言いにくいですね。仏教だと観音様とかお釈迦様とか名前があるのですが。
余り知られていませんが、この偶像の否定の後、主なる神は自分のことを熱情の神とも呼んでいます。私を否む者には、父祖の罪を子孫三代四代までも問うと言っています。
神を愛し契約を守る者には慈しみを与えるが、拒絶するものには罪を問うというものです。神様から守ってもらうためには神様と契約してそれを守らなければならないようです。
話は最初に戻って、なぜ偶像崇拝を禁止しているかです。実は偶像を作ると偶像自身が信仰の対象となります。事実、モーセとともにイスラエル民族を率いたアロンという人はモーセがいない間に若い雄牛の像を金で作っているのです。(出エジプト記32章)
人間は目に見えないものを信じるより目に見えるものを信じたいのです。イエス自身「見たから信じるのか見ないで信じる人は幸いである」といいます。
信仰は見えないが確かに存在する神を信じるものなのです。実際愛や友情、思いやりと言ったものは目には見えません。しかし、確かに存在し、それがなければ生きて行くのは難しいでしょう。
おじさんの教会では講壇の正面に十字架だけ飾っています。本来はそれすらおかない方が良いのかもしれません。
ただISのように仏像や遺跡を偶像礼拝だと言って破壊するのは間違っています。自分が偶像を礼拝しなければ良いので、他の宗教や遺跡を壊すことが偶像礼拝の拒否になるとはとても思えません。
明日は忙しいのでブログはお休みするかもしれません。