新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

地域への過剰な期待は禁物

 今日は久しぶりにのんびり本屋さんに行って過ごしました。ところで、今いろいろな場面で地域が中心になるべきだという意見が出てきます。
 実はおじさんも以前は地域の力というスローガンを信じていました。しかし、現実にそんなにまとまった地域ばかりでないことが分かってきました。
 ポステイングをしているとき、ある家の庭に何か張り紙のようなものがありました。それはお向かいの家の家人に対する非難です。それが事実かどうか不明ですが、庭にそんな張り紙を置いておくこと自身隣家との関係を示しています。
 そんな難しい人が住んでいる地域は当然のことながらまとまりにくいでしょう。おじさんの住む地域でも隣家との境界線や騒音などで不仲な家が多いです。
 よく境界線争いなどと言う言葉を聞きます。もしすべての地域が皆仲良しならそんな争いは起きないでしょう。また切れる高齢者が増えていると言います。
 そんな高齢者の住む地域もまとまるのは難しいでしょう。近隣関係は想像以上に難しいのです。都会には無関心がありますが、同時に地方では過剰な介入があります。
 以前山口の方の田舎で大勢の人を殺した事件がありました。これは都会から地方へ帰った人が起こした事件です。田舎独特な住みにくさがあったのだと思います。
 おじさんの住む市では町内会に入りましょうというキャンペーンをやっています。転居してきても町内会に入らない人が多いのです。
 おじさんも中国へ行くとき町内会を出てそのままです。帰ってきて入ろうと思ったのですが、ツマクマが病気になりその介護で忙しく、ツマクマが亡くなった後は一人で町内会の仕事をできないので、そのままになっています。
 おじさんもまもなく70才になり、独居老人の仲間入りです。お向かいのお家も去年ご主人がなくなって独居です。いくら以前に比べて高齢者も元気だと言っても他人のお世話をできるほどでない人も多いです。
 何だか行政の肩代わりを地域社会がしなければならないような雰囲気です。しかし、地域社会全体の高齢化が進めばそれも不可能になってきます。
 おじさんの住む地域はかって新興住宅街で子供もたくさんいて、住人も皆元気でした。おじさんたちが住んでうでに40年になります。
 おじさんなど若い方です。過剰な地域社会への負担はそのうち破たんするだろうと思っています。その後にくるのは荒涼たる風景だけです。
 移民も難しい、子供は1年に100万人以下しか生まれず、若者は皆都会へ出て行くのであれば、静かに地域の中で終わるしかなさそうです。明日は授業準備をします。