「教会」について考える
今日は日曜日なので教会でした。今日で講解説教の出エジプト記は終わりです。次回からはヨシュア記になります。ヨシュアと言うのはモーセの後を継いでイスラエル民族を率いた人です。
ところで今日は壮年会で使われているテキストからです。壮年会ではテキストを使って話し合っています。今使っているのは「信仰生活の手引き 教会」(日本基督教団出版局刊)です。
この本は色々シリーズがあるのです。初回は「教会があなたをよんでいる」です。教会についてみんなで話し合いました。
教会は婦人に比べて壮年が圧倒的に少ないです。今は6名くらいです。ところで教会に行かなくても家で聖書を読んでお祈りすればよいという考えがあります。
有名な内村鑑三の無教会主義などがそうです。しかし、聖書にもキリストの体なる教会という言葉もあります。あるいはキリストを信じる者の群れという考えもあります。
教会を通してしか正しい信仰は養われないとも思います。確かに教会に行くといろいろ束縛も多いです。教会員になると教会員の務めができてきます。
まず経済的に教会を支えなければなりません。これはキリスト教だけでなくあらゆる宗教がそうです。寺院や神社も同様でしょう。
喜んで捨てるのです。信仰なしにお金を出すと惜しむ気持ちになります。だからこそ、喜んで捨てるという意味の喜捨という言葉があるのです。
教会に行って教会員と交わりまた牧師の説教を聞くことで唯我独尊から免れることができます。しかし、教会へ足を踏み入れるのは勇気がいることです。
さらに信仰を持っても信仰生活を長く続けるのも難しいでし。日本のキリスト教信徒の数は100万人くらいだと言われます。
洗礼を受けながら教会に来ない人の数はこの何倍もあると思います。どこの教会に別帳会員と言って洗礼をうけながら教会に来なくなった人がいるはずです。
洗礼を受け教会生活を天に召される日まで続けることが出来たら本当に幸せだと思います。明日はのんびり過ごします。