新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

書道講演会へ行ってきました。

 今日は前回に続いて書道講演会へ行ってきました。講師は石川九楊氏です。前回はひらがなと文化についてでしたが今回は「カタカナと文化とその心」でした。
 定員150人なのに満員でした。もちろんほとんどシニアです。若い世代は書道などに興味はないのでしょう。講師によれば、日本語という呼び方はそもそも間違っているというのです。
 漢字語・ひらがな語・カタカナ語の3つから日本語が構成されているというのです。今回のカタカナ語は他の二つの語に比べて中途半端だというのです。
 そもそもほとんどのカタカナが「ノ」の形を元にしているというのです。またカタカナが単独で文章をなすことはありません。漢字ばかりだと漢文になるし和歌などはひらがなが中心です。極端に言うと和歌などはひらがなばかりでも成り立ちます。
 それではカタカナは何のためにあるのかと言うと「片」あるいは「傍」がカタカナの語源であるよに、漢字の補助あるいは助詞としての役割だったとします。
 事実カタカナが用いられれるのはまず外来語です。次が擬音など、そして例は少ないのですが学術語、最後に時代語です。「ナウい」「ミスる」などです。
 学術語というのは聞きなれないと思いますが、生物学で「犬」は「イヌ科」だし、人間だと「ヒト」と書きます。擬音・擬態などもひらがなで書くこともありますが、基本はカタカナです。
 最後に講師の方が仰るのは現代社会ではカタカナを多用することで、本来の外来語の意味をごまかしているというのです。
 例えば首切りを意味するリストラでも、本来は再構築と言う意味のリストラクチャリングの略です。日本語は五・七が音律の基本です。七音は三音か四音に分かれます。リストラのように長い外来語を短くする過程で意味がすり替えられているというのです。
 なるほどと思わされました。特に権力者側は都合の悪い言葉をカタカナ語にすることでごまかしているというのです。また国民に対する刺激を和らげる手段としているというのです。
 最後に日本はもともと中国から漢字を輸入することで成り立っている国なのに、今の政権が悪いからと言って中国と関係を悪くするのは良くないと言われます。
 今は一見日本が先駆けしているように見えるが、カタカナ語の多用は本来の外来語の意味を隠してしまい、本質を掴めなくしていると言います。
 日本ではコンピュータを言いますが、中国語は電脳です。音ではなく意味を示しているのです。コカ・コーラはさすがに音を借りて中国語で可口可楽としています。
 しかし、口楽ですから意味はしっかりつかめています。見る人もすぐ意味が分かります。特に中国よりよほどロシアの方が危険だとします。
 書道家なのになかなかおもしろい国際観を持っていると感心しました。そこで以前勤務していた高校の先生と会ってまた盛り上がっていましました。
 おかげで講演は早く終わったのに今頃ブログを書いています。明日は忙しいのでブログをお休みするかもしれません。