新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

全員祈祷会で感話をしました。

 今日は日曜日なので教会でした。今日はとても忙しくて司式(礼拝の司会)の後、全員祈禱会で感話をしました。全員祈祷会というのは、礼拝が終わった後感話を聞いて参加者全員で祈る会なのです。
 祈りには個人の祈りと全体の祈りがあります。個人の祈りも自分のための祈りと他人のための祈りがあります。週報にも今週祈る人が挙げられています。
 これは特定の個人のために祈るのです。全体の祈りというのは礼拝の際の祈りなどがそうです。全員祈禱会はずいぶん前からあります。20年以上前からあったと思います。
 祈祷会では教会員が自分の信仰について話します。これが感話とも証(あかし)とも言われるものです。教会員の中にはみんなの前で話すのはいやだという人がいて、最近は感話者が少なくなりました。
 先月牧師から感話をしてくださいと言われたので先週準備をしました。生い立ちから信仰を持つまでをまず話ました。おじさんは大学入学後すぐ5月病にかかりました。
 大学入学を目さじてひたすら努力してきたので、 入学後目標を失ったのです。大学1年の時はほとんど専門科目もなく、教養科目はつまらないものが多かったのです。
 それで1週間くらい学校にも行かず家で読書ばかりしていました。そしてふとそうだ子供の頃行っていた教会へ行ってみようと思ったのです。
 1年近く求道者の生活をしていたある日マタイ福音書4章の「私についてきなさい。」という聖句に出会いました。これは後に弟子となるペテロにイエス呼びかけた言葉なのです。
 何だかこれは自分に言われているような気がして、素直に「はいついていきます」と言ってしまったのです。その後洗礼を受けて50年が過ぎました。
 その時々で大きな困難に出会いましたが、主が救い手を使わしてくださって問題を解決することができました。信仰をもっていて良かったと思います。
 神秘体験は全くありませんが、事実として神が生きて働いていることを感じました。おじさんの信仰によれば、神は時間と人を支配するのだと思います。
 祈りに答えて必要な人と時間を備えられるのです。不思議に必要な時必要な人が備えられるのです。残りの人生は平均寿命でいえば10年ちょっとです。
 定年後の10年は波瀾万丈でした。今年70才になりますが、最後の10年はどうなるのでしょう。取りあえず今日今の学校から雇用契約書が来ました。
 70才までは働くことができそうです。明日は授業準備など仕事をします。