新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

3月1日(卒業式)の思い出

 今日は3月1日で、おじさんの県ではほとんどの高校で、卒業式があります。学校行事の中で高校の場合一番は入学試験です。次が卒業式で3番目が体育祭です。
 入学式は卒業式ほど盛大ではありません。そもそも新入生は校歌も知らないし、先生たちもまだ新入生には思い入れがありません。
 逆に卒業式の場合3年ともに過ごしたのですから思い入れもひとしをです。小中学校の卒業式はもっと遅いです。まずおじさん自身の卒業式ですが、遠方の大学を受験するため出ませんでした。当時確か3月3日に入試があったと思います。
 次が息子の卒業式です。息子はおじさんが以前勤務していた高校に入学しました。その高校はなぜか3月1日に卒業式をしていませんでした。
 それで息子の卒業式に出れると楽しみにしていたら何と息子が卒業する年から3月1日に変更になったのです。おかげで卒業式にでることができませんでした。
 最後がおじさんが定年になった年の卒業式です。卒業式の後祝会があって家に帰りました。そして何気なくパソコンを開いたら見たこともない人からメールが来ていました。
 それが後に3年にわたって過ごす中国の大学からのメールだったのです。その4日ほど前日本語教師公募のサイトを見ていました。
 すると中国・ラオスカンボジアの3つの国の国立大学で日本語教師を募集していました。ふと思い立ってほとんど冷やかし気分で応募していたのです。
 それが本当に招へいと言うことになったのです。中国の場合は全く想定外でした。もちろんおじさんはすぐ行きますと返信しました。
 ツマクマもそれなら自分も行くと言い出しました。その年の3月一緒に大学のある町を訪問しました。大学関係者は最大限の歓待をしてくれました。
 住む官舎も決めて帰りました。そしてその年の9月から3年間赴任することになったのです。のちに亡くなったツマクマのとって最後の輝きの時でした。
 日本語会話の教師を務め学生さんから陽子先生と呼ばれていました。陽子はツマクマの名前なのです。3月1日が来るといつもあの時のことを思い出します。9年前の出来事です。
 明日はポステイングです。雨みたいで大変です。