新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

レビ記の規定あれこれ

 久しぶりにブログを書いています。金曜日はお出かけで土曜日は陶器に関する講演会でした。講演会は近くの美術館の主催です。
 そこに展示されている陶磁器についての解説が講演会の内容です。展示を見るだけではわからないことが説明を聞いていろいろ分かってきました。次回は5月にあります。
 さて今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。礼拝説教は今レビ記を扱っています。前回も書いたようにレビというのはユダヤ教の祭司なのです。
 つまりここでは主なる神から与えられた律法について書いてあるのです。延々と規定が続きます。中には「いとうべき性関係」というおよそ聖書にふさわしくない内容の規定もあります。
 ご存じのように規定があるということはその前提として事実があるのです。どんな性関係が禁止されているか興味のある方はレビ記を見てください。
 今日の説教で引用された規定は日常生活にかんするものです。その章のタイトルは「聖なる者となれ」です。まず最初の規定は十戒にもある「あなたの父と母を敬え」です。次は偶像崇拝の禁止です。面白いのは貧者に対する施しの規定です。
 貧者への施しを自分の意志でするのではなく神からの命令として規定しているところが面白いです。「穀物を収穫するときは、畑のすみまで借り尽くしてはならない」と規定します。
 全部刈らなかったら隅の方に穀物が残ります。その残った分は貧しい人への施しものなのです。もし、全部完全に刈ってしまったら、その人は不道徳な人間として社会から冷たい目で見られるでしょう。
 またぶどうの場合であれば、「摘みつくしてはならない」とします。まだ取り残した房がある状態で収穫をやめなさいというのです。もちろん地面に落ちた実も拾い集めてはならないのです。
 「これらは貧しいものや寄留者のために残しておかねばならない」とあります。結語は「私はあなたたちの神、主である」となります。つまりこれは社会の決まりでなく、神からの命令なのです。
 寄留者とはユダヤにいる外国人です。現代の難民をイメージしれもらえばいいのかもしれません。不当労働行為に関する規定もあります。
 「雇人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしはならない」とあります。日給はその日のうちに払いなさいというのです。日雇い仕事をする人は家族がその日の給与を待っているのです。それに対する配慮なのです。
 障碍者に対する配慮もあります。「耳の聞こえない者を悪く言ったり、目の見えぬものの前に障害物をおいてはならない」とも言います。
 現代でも路上にはみ出して品物を置いたりして視覚障碍者がころんだりすることがあります。古代イスラエルでは神の名のもとにそれを禁じているのです。
 不当な裁判を禁じる規定もあります。「あなたたちは不正な裁判をしてはならない」とあります。後のキリスト教の教えにも通じるのが「自分自身を愛するるように隣人を愛しなさい」という規定です。新約聖書の中でもイエスの言葉として出てきます。
 旧約聖書というと目には目を歯には歯をのような復讐法が有名ですが、これも目を傷つけられたものは相手の目を傷つける以上のことをしてはいけないという規定なのです。
 目にけがをしたのに、相手を殺したり手足を折ったりするようなことは許されないというのです。現実には復讐しても仕方ないのお金で解決したようです。
 聖書でもほとんど読んだことのなり箇所があります。レビ記もそうでした。しかし、礼拝で読んでみるとなかなか面白いと思いました。
 明日はのんびり過ごします。