新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

考古学講演会に行ってきました。

 今日はいつも行っている考古学講演会に行ってきました。その講演会を主催している団体は公的機関ではなく、地元有志の集まりです。
 そもそもこの有志の地元で遺跡が発掘されたところからすべては始まるのです。重文になるほどの銅矛が出たりしたのです。ところが地元の市はそれを遺跡公園などにせず民間に売却することにしたのです。
 ちょっと言葉足らずでした。その遺跡が出た土地は国有地で、国は無償で市に提供する代わりに公園にするなら払い下げますということだったのです。
 しかし、市は公園整備すればお金がかかるし、同時に維持管理のお金もかかります。それでいらないと言ったのです。国の方もそのままにできないので民間に売ったのです。
 それを知った地元の有志が市にこの地を公園管理してい欲しいと陳情し、そのための団体を結成したのです。同時に考古学関係の団体もこの遺跡の価値を認めて応援しているのです。
 ですから、この講演にくる講師はとても民間有志の団体主催とは思えないレベルの人がきます。一度は東大の教授が講演に来てくれたこともあります。
 多分講演料はロハに近いレベルだと思います。ただ講演の内容が良いので、結構人が集まります。今日も200人近く人が集まっていました。一般観衆として近くの某国立大学の教授クラスの人が参加していました。
 質疑応答の時、講演者が意見をその人たちに聞いたので分かったのです。ところで今日の講演ですが、玉の製造についてです。
 古代の玉は水晶玉であったり石であったりします。その工房がこの遺跡にあったそうです。同じ県内にもそんな工房があります。その工房のある市の文化財担当者が来て講演してくれました。
 なかなか面白い内容でした。前回は遺跡のお墓に書かれた絵についての講演でした。今まで全く知らなかった話でした。
 この遺跡の特徴は子供のお墓があることです。子供のお墓なのに当時高価だった朱が大量に使われているのです。
 朱は当時国産できませんでしたの中国からの輸入品です。それをふんだんに子供のお墓に使っているのです。逆に言えばそんなことができるほど親は強大な権力をもっていたのです。
 この遺跡の時代は邪馬台国の時代だそうで、多分当時のクニの一つであっただろうと言われています。おじさんも同意見です。
 ツマクマが亡くなって。時間だけはあるので考古学講演会や歴史講演会よく行っています。明日は日曜日なので教会です。