新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「プロテスタンティズム」(中公新書)を読む

 昨日は家の片づけが忙しくてブログを書くことができませんでした。おじさんも今年古希なので、子供達に迷惑をかけないよう家の整理をしています。
 以前から少しずつ始めたのかなり片付きました。昨日は食器の整理とアルバムの整理が中心です。ツマクマのみが写っているアルバムや過去に勤務した高校の卒業写真などを整理しました。
 現実には市の処分場に行って処分するのです。昨日は土曜日だったので沢山来ていました。ところで今日は日曜日なので教会ネタです。
 礼拝説教の方は旧約聖書民数記というおよそ日本人になじみのない箇所からなので別のことを書きます。先日読み終えた「プロテスタンティズム」という本についてです。
 このところ宗教関係の本をよく読みます。前に読んだのは「パウロ」(岩波新書)「浄土真宗」(中公新書)そして今回です。
 鎌倉新仏教と呼ばれる浄土真宗もそれ以前の仏教の影響を大きく受けていたというのが「浄土真宗」の内容でした。今回の「プロテスタンティズム」にも同様なことが書かれていました。
 この本のサブタイトルは「宗教改革から現代政治まで」です。また帯には「現代の保守主義リベラリズムの源流」とあります。
 なかなか面白い表題です。そもそもプロテスタンティズム創始者と言われるマルチンルター自身自分が新しい宗派を作ろうという意志はもともとなかったようです。
 ただカソリック教会のやり方がひどいのでそれを正しい方向に向けようとして始めた運動のようです。それに教会の門に抗議文を打ち付けたというのも都市伝説のようです。
 ルターの教えが急速に広まったのにはグーテンベルクに始まる印刷術の進歩があったようです。それまで聖書は教会や図書館にしかなく、またラテン語で書かれていたためほとんどの人が見ることも読むこともできませんでした。
 だから聖書を理解していたのは教会関係者だけだったのです。しかし、ドイツ語訳の比較的安価な聖書が大量に出回るようになって、人々が自分なりに聖書を理解するようになりました。
 そして、ルターはそれでよいとしたのです。いわゆる「万人祭司」です。この動きと政治動向が結びつきます。当時どの宗教を信じるかは個人でなく領主次第であったのです。
 プロテスタントを信じる領主の領民は皆プロテスタントであり、カソリックを信じる領主の領民は皆カソリックということになりました。
 カソリックの場合生まれたらすぐ洗礼を受け自動的にカソリック教徒になりますが、プロテスタントでは自ら信仰を告白して洗礼を受けます。
 そのためプロテスタントの場合自覚的な信仰が求められるのです。つまり神は個人と直接対峙することになります。カソリックの場合は教会を通して神と向かうことになります。
 ですからプロテスタントの場合罪の赦しは直接神から与えられますが、カソリックの場合は神父さんに罪を告白して罪の赦しを受けるということになります。
 プロテスタントでは個人の聖書理解が中心になるため多くの聖書理解が起こります。それで様々なプロテスタント教会があるのです。
 なかなか面白い内容なので現代のプロテスタント教会について理解したい方はぜひ読むのをお勧めします。明日はミヤジイと恒例の小旅行です。