新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「定年後」(中公新書)を読むーおじさんの場合も含めて

 今日は一日だらだら過ごしました。教会の長老会(役員会)の記録を作ったり、明日の授業のプリントを作ったりしました。
 その後時間があったのでタイトルの本を読みました。まだ読み終わってはいませんがなかなか面白い内容なので紹介しておきます。
 サブタイトルは「50歳からの生き方、終わり方」です。定年は普通60歳ですが定年後はすでに50才から始まるのです。企業の場合役職定年などがあって、管理職から外れることが多いと思います。
 おじさんのような公務員の場合キャリアを除いてそのようなことはありません。ですから公務員の場合定年を意識するのは55歳過ぎてということになります。
 この本を読むと会社員の場合付き合いがほとんど会社内部にかかわるので一旦会社を離れると何のつながりもなくなってしまいそうです。またチームで動くことが多いので一人で過ごすことになれていないと書かれていました。
 公務員でも教師の場合基本的に一人仕事なので同僚と飲みに行ったり、上司から怒鳴られたりということはありません。授業やクラス運営は所詮自分で全てを解決していかなかればならないのです。
 そういう点から言えば会社のようにチームを組んでする仕事はほとんどありません。さらに上下関係というのも薄いです。
 おじさんの場合53歳から定年後に向けて準備しました。定年後できれば大学の非常勤講師をやれたらと思ったのです。それで夜間コースの大学院に行きました。
 結局定年後はこの時取得した修士の学位が役に立ちました。中国の大学でも修士の資格があったので給与が1000元(17000円くらい)も高かったし、某特殊法人立の専門学校や現在の専門学校に勤務することができました。(修士号を持っていることが就職の条件)
 それともう一つは友人のミヤジイから海外で働こうと誘われたことです。そのために60万円近く払って日本語教師養成講座に通いました。大学院とこの講座で200万円以上使いました。
 そのおかげで今年70歳になりますが働くことができています。定年後まず半年再任用で働きました。フルタイム働いて仕事も以前と同じで新採教員並みの給与です。
 たった定年前と定年後、たった一日で給与がそれまでの半分以下になるのです。再任用されても1年で辞める人が出るはずです。おじさんの場合その年の9月から中国の大学で教えるようになっていたので半年間我慢できました。(中国は9月から新学期)
 その後3年中国で過ごして7月に帰国しました。すぐには仕事はなかったのですが、翌年の4月から2年間某特殊法人立の専門学校で働きました。ここは時給もよく続けたかったのですが、ツマクマの看病のためにやめました。
 ツマクマが亡くなった後偶然ある専門学校の講師の仕事が見つかりました。ただこの学校はブラックだったので半年でやめて今の専門学校の来ました。今年で2年目です。
 大学を卒業して結局46年も働いています。知り合いはさすがにほとんどリタイアしています。義弟も70歳で調停員を終わったようです。
 何とかおじさんは72歳まで頑張りたいのですがどうでしょうか。明日は学校です。