新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

真理は些事に宿るー某前事務次官について

 今日は中学での仕事でした。毎回新しい発見があります。今日は授業の初めに聞き取りの小テストがありました。以前書いたように中学では読む・聞く・話す・書く・言語知識の4分野について評価するのです。
 聞くという単元があるので、それを試す試験があるのです。まるで英語のリスニングです。ここでの仕事も5回目になるのでいろいろこの中学の現状が分かってきました。
 ただ非常勤講師とは言え守秘義務があるのでここでは書けません。高校の場合、高校入試という選抜があるので、学力水準が平均化されていますが、中学は学力差が大きいことだけは書けます。
 日経平均は小動きでした。20円ちょい高です。対ドル相場も111円台で固定化しています。タカタの破たんがありましたが、すでに分かっていたことなので相場に影響はありませんでした。
 ところで、今日のタイトルですが、今日の朝刊を見ていておもしろい記事を見つけたのです。厳密には記事ではなく投書です。
 加計学園問題で話題になった前文科事務次官についてです。真理は些事に宿るというのは有名な言葉です。ちょっとしたことから真理が明らかになるという意味です。
 今回この事務次官について、記事でなく投書であったからこそ、ある真理が明らかになるのです。ちょっと話はそれますが、裁判において状況証拠という考えがあります。
 事実をストレートに実証できないが、様々な証拠を組み合わせて事実を証明するのです。この次官については、地位に恋々としているとか怪しげな風俗店に出入りしていたといううわさが流れています。
 それについて次官は反論していますが、大半の人はそのうわさを、さもありなんと思っているでしょう。以前旧大蔵省の役人がノーパンしゃぶしゃぶに行っていた例もあるからです。
 今日の投書は京都府の夜間中学の教員の方からです。タイトルは「前川前次官 学ぶ権利への信念」というものです。筆者は「地位に恋々としがみついていた」という非難について、きっぱり「私はうそだと直感した。」というのです。
 文科省の次官と夜間中学の先生とどこに接点があるのでしょう。この方は全国夜間中学校研究大会での前川さんの話を聞いたのだそうです。
 おじさんもそんな大会があると知りませんでした。夜間中学教員や生徒らの小さな集まりに現職次官が出席するのは異例なことだと筆者は述べています。
 もし前次官が将来天下りを考えるなら私立大学の大会などに出席した方が顔が売れていいでしょう。まさか現職の時今回のような事態になってはいけないとアリバイ作りをしたとも思えません。
 次官は「学びの機会を逸した人たちがいることを文部科学省の責任、申し訳ない」と謝罪したそうです。夜間中学は全国にわずか31校の小さな組織なのです。
 前川前次官は福島県の自主夜間中学などを講演して回り、その後もボランティアとして福島へ行ったそうです。この投書は「あの記者会見はさすがだと思った」で結ばれていました。
 小さな投書ですが、今回の加計学園をめぐる前次官と政府の対決についてはこれで勝負ありだと思います。まさに真理は些事に宿るのです。この小さな投書が全てを物語っています。おじさんの町にも夜間中学があります。
 ずいぶん前からその存在は知っていました。それゆえこの投書の意味が良く分かるのです。あの暴言を吐く旧キャリアの議員と誰もかえりみない夜間中学の小さな集まりに参加し謝罪する前次官はまさに好対照です。
 この投書は全国紙に出ているので、多くの方に今回の真実が伝えられるでしょう。最後に「陰徳ある者に天報いるに陽福をもってす」という言葉で締めくくります。陰徳とは隠れた良い行い、陽福とは目に見える幸せです。
 前次官は顧みるもののない小さな集まりで真実を語るという陰徳をしたので、渦中にあって思いがけないところから援護射撃があるという陽福を得たのです。
 明日は専門学校の授業です。