新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中学での仕事も来週までー驚きの連続

グ 昨日は調子に乗って遊び過ぎて疲れてブログを書けませんでした。今日は中学の仕事でした。中学の都合で10過ぎの授業からでした。
 今まで1・2・3限の授業だったので、3限からなので1時間授業についたら帰れると思っていました。ところが、この中学では3時限取りあえず仕事をするということでした。
 4限以降は国語の授業がないので1年生の授業についてくださいと言われました。行こうと思ったら担当の国語の先生が勝手に授業をクラスレクレーションに代えていたのです。
 高校では昔はそんなこともありましたが、今は授業管理が厳しくて勝手に生徒を遊ばせたりしたら大変です。中学ではそんなこともあるようです。おまけに授業担当の先生は新採だったのでさらにびっくりです。
 新採の時代は何でも教務主任とか教科の先輩にお伺いをたてたものです。教務主任も知らない間に生徒を遊ばせるなど高校ではあり得ません。
 それで県が主催する学力検査の採点をしました。これも問題を見てびっくりです。或る文章があって、これを朗読する時どんな点に注意しながら読みますかです。
 担当の先生に聞くと最近の県の試験はこんな書かせる問題が多いのだそうです。極端な話何を書いてもいいみたいです。
 もっと驚いたのは、次の問題で和食に関する記事を読ませるのです。その後で、いろいろ質問があって、最後は和食について図書館で調べるとしたらどうしますかという問題です。
 図書館の棚を見るでもインターネットで調べるでも先生に聞くでも正解です。そもそも正解はなく、採点者が判断するだけです。
 国語の力と図書館での調べは全く関係ないと思います。その割には教科書の内容は難しいのです。最後の晩餐の話はイースター島のモアイの話もあります。
 これを見ながら将来のセンター試験が分かってきました。知識でなく考える力を見たいのでしょう。しかし、どこかでしっかり基礎知識を身につけなければ後で大変なことになります。
 江戸時代の勉強は素読と言ってとにかく先生とともに本を読むのです。しかし、若いころは意味もなく読んだものが後になって意味が分かってくるのです。
 図書館での調べ方など大学生になってでもできます。朗読がきちんとできても国語の力と何の関係もありません。ゆとり教育に続いて基礎学力の欠如が起こりそうです。
 それに総合とか道徳とか学活とか結構時間を取っています。職業研究とか郷土研究とかどうでもよい物も多いです。とにかく中学は行事の塊です。
 行事を精選し、基礎学力重視へと進まなけれ。。ば日本は中国やインドなどに抜かれていくでしょう。と言っても70歳近いおじさんが何を言ても無駄な気がします。
 これまで全く知らなかった中学の世界を見て毎回驚いています。