新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

日本語の難しさ

 今日は専門学校の授業でした。今年は2年生を教えています。どんどん学生さんが減って今は12人です。最初は19人いたのです。
 それでも以前の40人クラスに比べたら断然楽です。先の専門学校もこの専門学校も学生さんの学習意欲の低さに泣かされます。
 と言ってもそもそも日本語学習は英語学習などに比べて難しいです。日本語の難しさの一つは微妙な表現が多すぎりことです。
 日本人でもその微妙な違いを説明できないでしょう。例えば「今日のところは許してやろう」とか「お忙しいところおいでいただき」の「ところ」はどんな意味ですかと言われても説明できません
 「雨が降らないうちに」と「雨が降らない前に」ではどう違うのかというのもあります。程度の副詞も多いです。「多い」「少ない」だけならいいのですが、「ちょっと多い」「かなり多い」「とても多い」「あまり多くない」なども学生さんには違いが分かりにくいでしょう。
 さらには「できる」「できない」だけでなく「できないわけではない」という表現も難しいと思います。次に状況によって意味が異なる表現もあります。
 たとえば「結構」です。「もう結構です。」といえば「いりません。」という意味になりますし、「結構なものをいただきありがとうございます。」となったら「立派な」の意味になります。
 「ございます。」もそうです。「ありがとうございます。」なら丁寧な表現ですが「それならございます。」は「あります」という意味です。
 さらにある語彙には悪い意味のものもあります。たとえば「○○のくせに」といえば、相手を見下す表現です。また「ばっかり」もそうです。「本ばっかり読んで」と言えば悪意を含む表現です。
 説明をしようとしても学生さんの単語力が不足しているので十分説明できません。例文を書いて説明するのですが、どこまで分かってもらえるものやら。
 複合動詞も難しいです。「出る」と「会う」で「出会う」となります。今日も「父は高校時代に、母と出会った。」という例文がありました。とても学生さんに説明するのに困りました。
 「立つ」も複合動詞が多いです。「立ち上がる」「立ち昇る」「立ち返る」「立ち尽くす」などです。この違いを説明しろと言われて説明できる日本人は少ないです。
 もちろん、例文は作れますが。「通りがかった」も説明しにくいです。「通り過ぎる」などもそうです。どうも日本語はある動作を極めて細かく表現するようです。
 「追いかける」「追いつく」「追い越す」「追い抜く」など一連の動作を細かく表現します。ちょうど雨にことを「霧雨」とか「時雨」とか「梅雨」と表現するようなものです。
 味も非常にこまやかですが、日本語表現もこまやかです。こんなこまやかな言語をネパール人やベトナム人が本当に理解できるのか疑問に思っていまいます。
 アルバイトなら使う言葉は決まっていますが、会社で働いたり、大学で勉強するとなると大変だと思いました。明日も専門学校の授業です。