新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

人は見た目が一番?ー聖書の言葉から

 昨日は繫華街の本屋さんに行ってきました。「人口減少時代の土地問題」(中公新書)と「一九四五 占守島の真実」(PTHP新書)を買いました。
 前者は題名から内容は推測できると思いますが、後者は何のことか分かりにくいと思います。実は戦争が終わった八月一五日以降もソ連軍と日本軍の間で戦闘があったのです。
 そのことについて描いた本です。いずれの本についても後日紹介します。さておじさんが取っている朝日新聞に人は見た目が一番かということについて特集しています。
 第一印象が大事と言われるくらいですから、どうも現代では見た目が大事なようです。古代においてはどうでしょう。古代においても見た目が大事だったようです。
 今日の説教はサウル王に代わって次の王が選ばれる話です。主が選び、主の選んだ人間に預言者が香油を注ぐことによって王となるのです。
 サウル王は国民の熱烈な求めによって選ばれます。サウルについて書かれた部分を引用すると「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。」とあります。(サムエル記上九章二節)
 美男で背が高ければ現代社会でもイケメンとして大人気です。しかし、そうして選ばれたサウル王に対して後に主は「イスラエルの上に王として立てたことを悔いられ」るのです。(サムエル記上一五章三五節)
 主は新しく王を選ぶ決心をし、預言者サムエルをベツレヘムに遣わします。そこでエッサイを言う人の子供達から次の王を選ぶことにします。
 サムエルは長男を見て彼こそ王にふさわしいと考えます。主がそれを否定した言葉から、なぜサムエルが彼に決めたかが分かります。主はサムエルに「容姿や背の高さに目を向けるな。」と言います。(サムエル記上16章7節)
 続けて「人は目に映ることを見るが、主は心を見る」と言われます。その昔おじさんの家では朝食の前に聖句を読んでいました。
 1月分の聖句カレンダーがあって、それをみんなで読んでいたのです。その中にこの聖句がありました。「人は外の顔形を見、主は心を見る」でした。
 この聖句が実はサムエル記から来ているとは知りませんでした。そういえば子供の友達で髪を染めている子がいて、あんな子供と付き合うなと言ったら、この聖句で子供から反論されました。
 負うた子に教えられるです。確かにこの聖句は真理を示していると思ったことがあります。ずいぶん前ある学校の文化祭の時募金を担当しました。 
 見るからに先生から注意されそうな服装の外部生に募金を呼びかけました。もう一つは見るからに模範生の生徒にも呼びかけました。
 結果はすでにお分かりだと思います。募金を沢山してくれたのは見るからに注意されそうな服装の外部生でした。やはり姿形で判断してはいけないと思いました。模範生は募金の呼びかけに無視です。
 募金の時いた補助の生徒さんは先生あんな格好の生徒に呼びかけてまずくないですかと言いました。そんなはずはないと思っていましたが、事実喜んで募金をしてくれました。
 もちろん姿かたち通り悪い人もいます。しかし、ただ姿かたちでけで判断するのは危険だということです。サムエル記に戻ると、その場にいなかった少年ダビデが王に選ばれるのです。
 来週からはサウル王につかえるようになるダビデの話です。明日は仕事がないので教会の資料作りをします。