お盆の思い出
昨日はお墓参りをしその後次女のマンションに行きました。長女夫婦も来て孫たちと過ごしました。以前はおじさんの家にに皆来ていました。
庭でバーベキューを良くしたものです。その前は別荘でバーベキューをしていました。別荘は敷地が120坪近くもあるので広々としたところで花火をしたり、ファイヤーをしたりしたものです。
遡って子供の頃のお盆のことを書きます。覚えているのはまず父の死のことです。お盆過ぎの8月23日に亡くなりました。42歳でした。
リンパガンだったと聞いています。その前の年の秋ごろに肩がだるいと言って病院に行ったらがんだと分かったそうです。モーレツサラリーマンだった父ですが1年くらいの療養の後亡くなりました。
痛み止めの麻薬を使うと死期が近まりますが、どうしますかと医者から聞かれたと母から聞きました。母は死期が近づいても痛み止めを打ってくださいと言ったそうです。
死んだのは真夜中でした。当時は母は病院にいておばさんが家にいました。夜中に起こされてみんなで病院に行くと言われました。その時おじさんは小1だったのですが、ああ父が亡くなったのだと思いました。
病室の壁がやけに白いのとシーツの白さを今でも思い出します。病院からお棺を霊柩車で自宅まで運びました。お棺を真ん中に両脇に座ったのですが、足にお棺が当たるのでいやだったことを覚えています。
もう一つは当時の火葬はまきが燃料だったと思います。長兄がマッチを何本かたばにして火をつけたのも覚えています。62年前のことです。
お盆には仏壇の道具みがきをしました。また盆提灯を組み立てたりしたことを覚えています。その後母がなくなりましたが、80歳だったので父の時の思い出ほどのことはありません。
この時は教会の納骨堂を開けて中で拝みます。納骨などもこの時行います。教会の場合、都合のよい時に納骨ということはありません。
この2回の時に一緒に納骨します。それまでは家に遺骨をおいておきます。分骨する場合もあります。おじさんの場合、今でも座敷に分骨を置いています。
父の場合も分骨して仏壇に遺骨がありました。夜寝る時怖かったことを覚えています。結局母が高齢化したのでお寺に収めました。
おじさんの教会墓地では数が増えたら最終的に土に返します。そのため納骨堂の一部に掘り込みを入れています。聖書では塵から生まれ塵に帰るとある通りです。
おじさんもそれでよいと思います。さすがに海に散骨や野山に遺灰をまくのはだめですが、納骨堂の地下に入るのはいいと思います。
お盆が過ぎると急速に秋になってきます。後3週間くらい夏休みが続きます。明日はいろいろ家事をこなします。