新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

家のルーツを探る

 今日は久しぶりに中学の仕事でした。夏休みは終わったのですが、始業式と課題テストで2回授業がありませんでした。そんなわけでおじさんは今日から仕事でした。
 中学で仕事をするのは初めてです。すべてが新鮮に思われます。教える内容は高校や専門学校に比べて易しいのですが、授業をどう進めるかには工夫が必要です。
 何だか教育実習生になった気分です。ところで今日は夕方忙しいので今これを書いています。相場の方は三桁の安値です。日経平均で19400円割れです。対ドル相場も107円台に突入していました。
 おじさんが狙っている某都銀も年初来安値割れです。後5円ほど下がったら購入しようかと考えています。先日もちょっと書きましたが、知人から刺激を受けておじさんも家のルーツ探求に取り掛かりました。
 一番手始めは古い戸籍をたどることです。除籍謄本を見ていくといろいろ分かります。戸籍が出来たのはもちろん明治以降ですが、その時生きて居た人の中には江戸生まれの人もいます。
 おじさんの例でいえば一番古い祖先は文化12年生まれの高祖母です。ご存じのように両親・祖父母・曾祖父母・高祖父母の順になります
 文化年間と言えば、江戸末期の文化文政の時代です。日本史でいえば、化政文化と言われる時代です。江戸時代では元禄文化が有名ですが、それに続く文化爛熟期なのです。
 今から200年くらい前の人です。名前はスカです。ちょと気の毒な名前です。夫は一応佐助ですから、こちらはまずまずです。
 このスカさんがどの町からお嫁にきたのかまで分かります。ただ年月日未詳となってますが、○○町亡○○長女入籍となっています。
 これで、高祖父の通婚圏が分かります。通婚圏とは結婚する範囲です。当時は交通機関がほとんど発達していないので、一日で往復できるくらいの地域が互いに相手を求める範囲ということになります。またスカが来た地域は城下町の中心ですから、おじさんの高祖父は町人だったことが分かります。
 曾祖母は曽祖父のすぐ家の近くからお嫁に来ています。曾祖母の名前はおじさんの住む町の古い家柄の名前です。生まれはこちらも江戸時代で弘化四年になっています。
 名前はセンです。おセンさんと呼ばれたのでしょう。曽祖父は佐衛門と立派な名前です。と言っても商人だったと思います。この佐衛門さんの子供がおじさんの祖父です。
 佐衛門さんの長男はかまぼこ屋だったと聞いています。おじさんが子供の頃まだ家がありました。もちろん当時は仕事をやめていましたが。
 佐衛門さんの長男くらいから明治に入ります。おじさんの祖父は明治15年の生まれです。某建設会社の社員だったと聞いています。
 某建設会社は現在も東証一部に上場しています。父は某製鉄会社の社員ですから、長いサラリーマンの歴史があるのです。
 昔の人の名前は難しいです。乕三郎という祖父の兄がいます。最初見た時何と読むか分かりませんでした。辞書でも引きようがないのです。実はこれは「虎」と同じなのが後にわかったのです。ですから「とらさぶろう」と読むのです。
 知人の叔父さんも「奠光」と書きますが、読み方が分かりませんでした。「奠」は「典」と同じだというので「のりみつ」と読むのかと思います。
 おじさんの曽祖父とおじさんの祖父の弟とが同じ「佐衛門」なので困ります。まさに○○ジュニア―と言った感じです。あるいは大ピット・小ピットと言ったところでしょう。
 おじさんの父親も「理」と書いて「おさむ」と読ませます。おじさんの甥にこの名前があります。また、偶然ですが、母親と兄嫁の名前が「礼子」で同じでした。
 おじさんの苗字は比較的珍しいです。昔、この名前は江戸時代に住んでいた町の名前からとったと叔父さんから聞いたことがありました。
 できすぎた話なので信じていませんでしたが、高祖母の生まれた町のすぐ隣なので案外事実だったのではと思っています。明治維新後に今住んでいる町に移ってきたようです。
 曽祖父の家業などから想像して、明治以前のおじさんのルーツがどのような生活をしていたか見えてきました。後は菩提寺に行って過去帳を調べれば全て終わりです。
 明日はお出かけする予定です。