新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

キリスト教における二つの聖書

 今日は日曜日なので教会でした。礼拝後に壮年会がありました。さて今日は礼拝説教からです。説教のタイトルは「キリストによる新しい契約」です。
 ご存じの通りキリスト教で聖書と言えば新約聖書旧約聖書を指します。ユダヤ教では聖書は旧約聖書だけです。厳密には聖書の中のモーセ五書と言われるものだけです。
 新約・旧約であって新訳・旧訳ではありません。「約」は「約束」の約なのです。翻訳の訳ではありません。よく知られているように、旧約は神とイスラエルの民の間に交わされた古い約束です。
 一方新約はイエスキリストとすべての民に対してなされた約束なのです。今日の説教はモーセと神との間でなされた約束の後、別の約束がなされたことについてです。
 聖書箇所はエレミヤ書31章31節以下です。神が新しい契約を結ぶと宣言した箇所です。「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日がくる」と神は言います。
 その新しい契約の特徴は「わたしの律法を胸の中に授け、彼らの心にそれを期す」というものなのです。それまでの契約はモーセが石板に書かれたものをシナイ山からもって帰ったのです。
 新しい契約はに見える契約ではなく、心の中に刻まれた契約なのです。イエスキリストとの契約もそうです。ユダヤ教では信仰の印として割礼を行います。
 割礼こそが神と民との契約の印なのです。しかし、キリスト教ではただ水によって洗礼を授けるだけです。水は流れれば何も形が残りません。
 その後は心の中にイエスキリストと交わした契約が残っているだけなのです。まさに新しい契約の形なのです。この新しい契約の形について書かれているのが、旧約聖書エレミヤ書なのです。
 旧約聖書はイエスキリストによる新し契約の預言なのです。だからこそキリスト教でも正典として旧約聖書が用いられているのです。
 イザヤ書はイエスキリスト誕生の預言としてクリスマスなどでよく朗読されます。新約聖書は一般の人にも良く読まれますが、旧約聖書は一般の人にはなじみがありません。
 それにイエスキリストと旧約聖書は無関係と思っている人が多いと思います。しかし、旧約の時代にすでにイエスキリスト出現の預言があったとキリスト教では考えているのです。
 明日は中学の仕事です。相場の方も気になります。土曜日にそのことについて書いておきました。