新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

家族の歴史社会学

 昨日は野球の応援に行って疲れたのでブログはお休みしました。県庁所在地であったので、ついでにまた県立図書館に行って本を借りてきました。
 今度は教育行政に関するものです。以前おじさんがやっていたテーマと関係する論文をいただいた先生がいました。何とその方の本でした。両方でもし買うとしたら1万円近くなるので、交通費を考えても安いものです。
 さて今日は日曜日なので恒例の教会ネタと行きたいところですが、エゼキエル書というおよそ日本人にはなじみのない旧約聖書の箇所からの説教なので別のことを書きます。
 先日知人と一緒に先祖について知らべていました。その方の家を取りあえずO家としておきます。O家はなかなか変化にとんだ家系でした。
 知人の祖父に当たる人は東京の大学を出て大阪に住みさらに故郷に帰って生涯を終えています。知人の祖母に当たる人は和歌山の人でした。
 和歌山の人と知人の祖父がどこで知り合ったのか。またなぜ知人の祖父が大阪で暮らしたのか。大阪から故郷に帰って何をしていたのか。故郷では戦前大学を出た人が務める先はそれほどありません
 いろいろな謎がありましたが、知人の叔父さんの話から謎が解けました。知人には地方の訛りがほとんどありません。それで祖父に当たる人が東京にいたことの証明になります。
 祖父に当たる人の住んでいた地域は結構顕著な訛りがあるのです。祖父だった人の仕事を叔父さんから聞いた話を知人がしてくれました。
 それはある全国規模の企業で、その工場が祖父に当たる人の故郷にできたのです。大阪にも工場があって、それから故郷の工場に転勤してきたようです。その企業は現在でも大企業なので東京の大学を卒業した知人の祖父が勤務しても納得できます。
 それぞれの家の歴史には日本の歴史と重なるところがあります。知人のお母さんは広島の原爆で両親を失ったようです。戸籍謄本にも原爆投下時刻を両親の死亡時刻として書いていました。
 相続の問題がかかわるからでしょう。戸籍には出生は日にちのみですが、死亡の場合は時刻まで書いてあります。また死亡場所も書かれています。
 戸籍謄本を綿密に見たことがないので、今まで気が付きませんでした。戸籍謄本からは様々な情報を得ることができました。戦争と言えばおじさんの父親の弟も戦争で亡くなりました。
 単にサイパン島で戦死したとだけ聞いていました。しかし、今回戸籍謄本を取ってみると、「昭和19年7月8日時刻不詳南群島方面において戦死」となっていました。
 サイパン島で死んだと聞いていたので陸軍かと思ったら報告者は「佐世保海軍人事部長名」となっていました。この時初めて亡くなった叔父さんが海軍所属だったことを知りました。
 おじさんの曽祖父も幕末の動乱で以前住んでいた町を離れておじさんの生まれた町にやってきたこともしりました。家族の歴史と時代の流れとがクロスするのだと思いました。
 古くは江戸文化年間に始まり平成から次の時代へとつながっていくのです。自分の戸籍謄本に文化十二年の記述を見た時には驚きました。
 また自分の知らない親戚が何人もいるのに気がつきました。おじさんの姓は比較的少ないのですが、同じ町に同じ姓の人がいても自分と無縁だと思っていました。
 しかし、お互いにどこかでつながっているのではないかと思うようにもなりました。また知人の祖父とおじさんの父とツマクマの義父が皆同じ町に同じ時代に住んでいたことも分かりました。
 もしかしたら戦前のある時同じ場所ですれ違っていたのかもしれないと思いました。今の自分に至るまで長い時間と様々な運命が交差しているのだと思いました。
 明日は庭の手入れや家の片づけをする予定です。