新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

様々な定年後ーおじさんを例に

 昨日は知人とちょっと離れたお寺に曼珠沙華を見に行きました。ネットで調べたのですが、畑のあぜの曼珠沙華ではなく、お寺の一角に沢山植わっていました。曼珠沙華祭りとしてお彼岸の頃やっているようです。
 結構山の中でした。自宅から高速で40分くらいのところです。今日の相場は51円安でした。このところ上昇の勢いが強かったので、一服といったところでしょう。
 対ドル相場も111円台になっています。ところで、最近「定年後」という本がバカ売れのようです。定年後の人もこれから定年になる人も皆関心があるのでしょう。
 おじさんは運よく定年後の10年、ツマクマを介護した時を除いて仕事を見つけることができました。それまで県立高校の教師一筋だったのですが、定年後はいろいろやりました。
 定年前に定年後の準備をしました。日本語教師の資格を取ったことです。定年の2年前友人のミヤジイが定年後海外で働こうと言い出しました。
 おじさんは国語教師なので、日本語教師が良いと思いました。ただ当時は日本語教師として海外で働く道を知りませんでした。海外青年協力隊のシニアバージョンで募集があることを知りました。
 一つは外国語を必要とするものです。もう一つは海外に移民した子弟に日本語を教えるものです。これだと外国語は不要でした。これを狙っていました。
 しかし、日本語教師養成講座を卒業した直後に偶然中国の大学で日本語教師を募集していることを知り、応募すると採用されました。9月から新学期なので、それまで再任用で働きました。
 再任用で働いている人も多いと思います。仕事はそれまでと同じなのに給与は半分くらいになります。ほぼ初任給ランクです。それにフルタイムです。中国の仕事がなければ、年金をもらうまで辛かったと思います。
 再任用の給与と年金がそれほど変わらないのです。中国に3年いて帰国後県立学校の講師登録をしました。すると県立学校ではなく、特殊法人立の学校から来ないかと声がかかりました。
 それで2年ほどそこに勤務しました。全くの偶然、つまり運が良かったのです。その学校は修士の学位と大学で教えた経験があると採用されやすいという傾向はありました。
 そこで教えている途中でツマクマのガンが分かり、やめました。その後は介護です。ツマクマが亡くなって何かしようと思って県立学校や市町村立学校の講師に登録したのですが、声はかかりませんでした。
 声がかかる時はいくつもかかります。ツマクマを介護しているとき、特殊法人立の学校で知り合った先生から某私立大学で講師をしないかと声がかかりました。その後義弟から県立高校の講師の話もありました。
 ツマクマの死後、シニア向けのハローワークに行きました。そこで専門学校の日本語教師を紹介されました。半年勤務しましたが、そこの学校の運営方針がいやでやめました。
 すると今度はあるサイトで知った今の専門学校が雇ってくれたのです。今年で2年目になります。去年はこの学校とポスティングの仕事をしました。
 今年の6月から町立中学の授業補助をしています。これで平日は4日勤務することになりました。全て偶然と言えば偶然です。ただ専門学校も日本語教師の資格をもっていたからできたし、中学も以前登録していたので声がかかったのです。
 やはり動かないと何も起こらないようです。何とか72歳まで働きたいと思っています。おじさんは教えるのが仕事なので、体力はそれほどいりません。
 健康であればいいのです。ただ血糖値だけが気になります。3ケ月通しての血糖値は問題ないのですが、1日分だけの方が高かったので気になっています。
 皆は1日分の方は当日の体調とかあるから3月通しての方が大事と言います。男性の平均寿命までだましだまししながら生きていけたらと思っています。明日は買い物にでるのでブログをお休みするかもしれません。