新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国古典の言葉と現代日本の政治

 今日は一日教会の仕事をしました。長老会議事録の整理です。議事録の資料を整理して、本に貼り付けるのです。4月から結構たまっていました。後は教会総会議事録の整理です。
 さて今日のブログは現代日本の政治に相応しい中国古典の言葉を書きたいと思います。最近儒教が中国や韓国をだめにしたという本がでていますが、全くの際物本です。
 儒教が日本の生活道徳の基本になっていることは明らかです。まあそんなことはどうでもよいのですが、どんな言葉か書いてみましょう。
 まず何度も書いたことのある論語の「民信なくんば立たず」です。これについては、民に信義の心がなければ、国は成り立たないという解釈と民が政治に対して信頼がなければ国が成り立たないという解釈の二つがあります。
 通説は前者ですが、現代日本の政治はまさに後者に当てはまります。安倍政権の忖度政治は明確です。今回の解散もまさに大義無き解散です。
 選挙に勝つことだけが目的の解散なのです。そう思っている人が国民の大多数でしょう。野党の方も民進党が解散して希望の党に合流しました。
 これもこのまま民進党ではじり貧なので、小池知事の人気に乗ろうという戦略です。民進党から弾き出された人は無所属と立憲民主党に集まりました。
 こんなことをしていて良いのだろうかと思います。解散の理由が国難だというのですが、国難なら挙国体制で臨まなければならないのです。
 こんな状態ではとても国民が政治を信頼できないでしょう。このまま行くとまた投票率は下がります。先日は自民党が大幅に議席を減らすと書きましたが、今の調子では10議席か20議席減にとどまりそうです。
 小池さんがあんな調子では希望の党も大して議席は取れないでしょう。さてもう一つの中国古典は孟子の「自ら反みて縮(なお)くんば、千万人と雖も(いえども)我往かん」です。
 安倍さんは前回の都議選で反アベコールに懲りて選挙演説の日程と場所を発表しないそうです。政治家としては恥ずかしいと思います。
 反対派の野次や怒号をもろともせず堂々と演説してこそ一国の長たるものです。それが、暗殺ならまだしも、やじや怒号が嫌で逃げ回るなどみっともないです。
 とても反対派が一千万人もいると思えません。数千人どころか数百人がいいところでしょう。自分を省みて正しいと思うなら「もりかけ問題」について演説で堂々と反論したらいいのです。
 それを国会で審議するといいながら、何もせず冒頭解散するなどとても「正しい」行いと思えません。もちろん、安倍さんも含めて自民党に投票するのはいろいろな思いがあってでしょう。
 中国古典の言葉には数千年の歴史の重みがあります。数年しても効果の出ないアベノミックスとは大違いです。安倍さんも一度中国古典をじっくり読んでほしいと思います。
 明日は専門学校の授業です。