自分第一化し信義無き社会
今日は専門学校の授業でした。相変わらず学生さんのやる気はありません。後半年なんとか出席だけして時間を稼ぐつもりのようです。
勉強というものは目的がなければできにくいものです。知識を増やすとか将来の役に立つとか言った目的があれば頑張れます。
今の学生さんも1年生の前期くらいはがんばりました。しかし、アルバイトと勉強の両立は難しく、少々勉強しても日本で就職するのは難しいということが分かってやる気がなくなりました。
今日証券会社から10月現在の報告が来ていましたが、何と4月時点より時価評価額が下がっていました。都銀と地銀の株価の下落が大きいせいでしょう。
グローバリズムの反動だと思いますが、このまま行けば全て自分第一になってしまいそうです。昨日書いた通り民に信義の心が無くなれば国としては成り立たない思います。
組織は上から腐ると言います。今民の上にあるのは政府と企業です。政府については忖度政治と自己ファースト政治です。自分が当選するためなら何でもありの議員。そんな議員の奉仕する官僚。忖度政治はその中で生まれました。
今回のドタバタ解散と右往左往する候補者。少しでも有利な方に着こうとしています。とても天下国家を論じるとも思えない議員だらけです。二条河原落首にならえば、このごろ政界にはやるもの。忖度政治に解党騒ぎ、不倫議員に暴言議員と言ったところです。
そういえば安倍政権の教育政策では道徳教育を教科へ格上げするようです。道徳教育が必要なのは子供より国会議員に企業経営者に現場責任者でしょう。
安倍さんが率先してえこひいきのような忖度政治を打破していただきたいものです。李下に冠を正さずという中国古典の言葉もあります。
保守派の人は中国のことが嫌いになってもいいですから、中国古典の言葉の神髄を忘れないようにしてください。中国古典の言葉が言いたかったことが現代社会には多くみられます。
現代中国だけを見て中国を批判するのでなく、長い歴史の中に存在する中国というものも見てほしいものです。
明日も専門学校の授業です。