新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

緩和ケアーの遺族会がありました。

 昨日は緩和ケアーの遺族会に出た後知人に会って会食し遅くなったので、ブログを書けませんでした。緩和ケアーの遺族会というのはツマクマの亡くなった病院の主催です。
 市立病院で繁華街にあります。今年の遺族会は平静27年と28年に亡くなった人の分です。お話によると毎年200人くらい緩和ケアー病棟で亡くなるそうです。
 ツマクマは平成27年の7月に亡くなりました。今回は30人くらいの方が来れていました。ほとんどが平成27年に亡くなった方です。
 やはり亡くなって1年くらいでは、とても遺族の集まりに出る気持ちにはならないと思います。仏教はなくなった年を1年と数えるので、27年に亡くなった方ですと3回忌ということになります。
 3回忌の次は7回忌なので49日・初盆・一周忌・3回忌と過ごして、やっと落ち着いた頃です。それで遺族会にでようという気持ちになるのでしょう。
 内容はコーラスとそれぞれの自己紹介でした。メインは自己紹介でそれぞれ亡くなった方のことと、現状を報告されました。
 もちろんおじさんも報告しました。緩和ケアーにかかって、最後を静かに迎えた方ばかりです。緩和ケアーにかかった時間もまちまちです。1週間前後が一番多かったです。長い人ですと3月一番短い人は1日でした。
 死因はほとんどガンです。心臓病や脳疾患の方はほとんどいませんでした。ガンの場合痛みを伴うので、痛みの除去のため緩和ケアーにかかる人が多いのです。
 ほとんどが夫や妻を亡くされた方です。子供さんの場合は少なかったです。ご両親のどちらかを亡くされた方もいました。一番身につまされたのは弟を亡くされた方です。
 早くに両親を亡くし、兄弟で必死に生きて仕事もうまく行き、結婚もしたのですが、ガンで亡くなられたそうです。お兄さんに当たる方がしみじみと話されていました。
 おじさんが知っている看護師の方はほとんどいませんでした。というのも7ケ月ほどかかりましたが、最初の4ケ月は月1回の通院でした。
 その後月2回になり入院は1週間だったのです。それで緩和ケアーの看護師さんと知り合う時間はほとんどありませんでした。ところが呼吸器内科と緩和ケアーの仲立ちをする看護師さんが今回緩和ケアーの看護師長になっていました。
 おじさんのことは2年前だから覚えていないだろうと思って帰ろうとしたら、向こうから話しかけてきました。いろいろ思い出話をしてよかったです。
 病院の場合退院するか亡くなったらそれで関係が終わるのですが、この病院のように亡くなって2年してもまだ関係をつづけるのはめずらしいです。
 ただ亡くなった後の遺族のケアーも大切なのです。喪失感からうつ病になったりする人も多いのです。とても良い取り組みだと思いました。毎年亡くなる人も多いので遺族会に出るのはこれが最後だと思います。
 とても有意義な会でした。今日は日曜日なので教会でした。今日もダニエル記からの説教でした。来週は教会の特伝とバザーです。
 明日は中学の仕事です。