新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「斎宮-伊勢斎王たちの生きた古代史」を読む。

 今日は専門学校の授業でした。学生さんは相変わらず時間が過ぎるのを待っているだけです。確かに何か大きな目標がなければ勉強する気にはなれないでしょう。
 語学はとくにそうです。自分で興味を持たなければ、これほど無味乾燥なものはありません。読者のみなさんが、ラテン語ペルシャ語を勉強しろと言われるようなものです。
 日経平均は今日も上がっていました。と言ってもすべての株式が値上がりしているわけではないのです。相変わらずおじさんの持ち株は含み損のままです。
 さて、今日は最近読み終わった本の話です。世上では総選挙などと言っていますが、街中では全くそんな熱気はありません。結果の分かった消化試合のようなものです。
 ただこれがきっかけとなって日本がどんどん変わっていくことだけは確かです。それが良い方向なのかそうでないのかはこれからの歴史が証明するでしょう。
 さてタイトルの「斎宮」(さいぐう)ですが、皇族の姫君が伊勢神宮の祭主となってとどまることです。実は古典文学などでも出てくるので名前くらいは知っていました。
 しかし、この本を読んでみると今まで思っていたことが全く見当違いだと分かりました。一つは斎宮は生涯独身だと思っていたのです。
 この本を読むと斎宮の任期が終わった後結婚したりしています。次に任期ですが、いつまでか知りませんでした。何となく3年とか5年とか思っていました。
 実は天皇が交代すると派遣され亡くなると帰還したようです。また伊勢にはお供を連れて行ったようです。おじさんは孤独に過ごしたと思っていました。
 斎宮などと言うと小さな家にひっそりと住んで神様をお祭りしていると思ったのです。ところが、この本によると斎宮は中央の官庁と同じような役所があったようです。斎宮寮と呼ばれたようです。長官は従五位下ですから、今の中央官庁の課長級のポストです。
 中央官庁の課長が地方自治体へ行くと部長くらいになります。県の部長級のポストのようです。もちろん正式な役所ですから、財務報告も中央へ送ったようです。
 近年の発掘によれば、京都と同じように碁盤の目状の町が形成されていたようです。もちろん時代によって斎宮のあり方は変化したようでs、最終的には鎌倉時代初期に無くなります。
 最近それまで知られてなかった歴史が注目されています。「応仁の乱」などがその嚆矢(こうし)でしょう。有名人についても別の見方がされています。
 それはそれで歴史研究の成果なのでよいと思います。明日は専門学校の授業がお休みなので、先祖調べに行ってきます。もしかしたら忙しいのでブログをお休みするかもしれません。