新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

人生の無常

 今日は一緒にコンサートに行くはずだった知人が足をくじいていけなくなりました。おまけに知人は自動車を運転しないので、病院まで連れて行ってやりました。
 おじさんの体重は53キロなのに、知人は何と60キロ超えなのです。支えるのも大変でした。医者から肥満をなんとかしないと、ひざにも来ますよと言われたようです。
 元気づけに昼食をおごってあげてマンションまで送りました。医者には月に1回くらいでいいようです。ただ歯医者の治療とかは付き添いが必要なようです。
 独り者なので、またおじさんがお手伝いしなければなりません。ところで、今日家に帰ると喪中のハガキがきていました。
 その方は次女の同級生のご両親です。ツマクマが亡くなった時もお参りに来てくださいました。その方と一緒に温泉に行ったりしたこともあります。
 亡くなった方は同級生の妹さんです。38歳でした。病気療養中とあったので病気で亡くなったようです。亡くなったのは5月頃です。亡くなってちょうど半年くらいです。
 親が亡くなるのもつらいですが、それ以上に子供を亡くした悲しみは大変なものがあります。亡くなったツマクマの68歳でしたが、それでも96歳の義母の子供を亡くした悲しみは消えないようです。
 まして30代で子供が亡くなったとなれば悲しみはいかばかりでしょう。添え書きに「つらい一年になりました。何とか頑張っております。」とありました。
 子供を失った悲しみは半年くらいでは癒えないでしょう。一生癒えないかもしれません。先立つ不孝という言葉がありますが、まさにその通りだと思います。
 逆縁という言葉もそうです。古典文学にも親に先立つ不孝をお許しくださいという表現が良く出てきます。自分も人の子の親になって良く分かりました。
 明日墓前礼拝で子供達が帰ってきます。次女も当然その方を良く知っているので、お参りに行こうと言っていました。
 とても慰めの言葉はありませんが、お話するだけで少しでもお慰めできたらと思いました。これも古典文学によくでてくる世の無常にまさに該当すると思います。
 人の世のはかなさを知らされたハガキでした。明日は予定が盛りだくさんです。まず教会学校があって、礼拝の司式をして、墓前礼拝に出て、その後教会で長老会があって、さらにお参りです。
 月曜日も別の用事があります。来週も毎日予定がつまっています。そのため、ものすごい勢いで時間が過ぎて行っています。