新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

またまた中学の不思議な世界

 今日は久しぶりの中学の授業でした。今日学校に行ったら駐車場が空な上に町の偉い人の看板がありました。これは町主催の何かがあると思ったのですが、思い当たることはありませんでした。
 職員室の黒板を見ると「かたり場」とありました。偶然校長がいたので何か聞きました。校長と言ってもおじさんよりはるか年下なので気楽に聞けるのです。
 これは色々な人と生徒が語り合う場なのだそうです。普段はなかなか離さない保護者などと生徒が話すことで色々な世界や人をしることができるそうです。
 京都の教育困難校で始まって全国に広がったそうです。そもそもはNHKの番組から広がったそうです。かって今勤務する中学も教育困難校として近隣に知れ渡っていました。
 おじさんも今勤務する中学は教育困難校として認識していました。ですから勤務が決まった時も覚悟していきました。ところが実態は全く違っていました。
 授業中抜け出す生徒はいませんし、ヤンキーな格好をした生徒もいませんし、逆に挨拶をする生徒ばかりです。もちろん授業中にふざける生徒はいますが、注意すれば収まります。
 ここまで行くには大変だったと思います。しかし、ちょっとでも先生が気持ちを緩めればあっと言う間に学級崩壊が起こるでしょう。
 教育はAI化のもっとも難しい世界です。人間とくに中学生の時代の子供は毎日変わっていきます。今日授業がうまくいったとしても明日どうなるか分かりません。
 そのかたり場には町の副町長以下町教育委員会の教育長や指導主事、学校教育課長も出ますし、児童福祉関係職員も出ます。もちろん保護者も出ます。生徒の数より多いそうです。おじさんにも出てくださいと言われました。
 学校としてはできるだけいろいろな大人に接してもらいたいのでしょう。おじさんが感心したのは、学校だけでなく町も町の保護者も皆何とかしたいと思っていることです。
 およそ高校では考えられないことです。本来の教育と言うものは地域のみんながかかわっていくものだとおもいます。
 高校の場合地域の概念がありません。地域が広域すぎるからです。また高校の場合普通高校なら進学、専門高校なら就職が全ての目標となります。
 しかし、中学の場合塾ではないのでただ進学させればよいというわけではありません。また生徒の幅も相当広いです。授業にもそれが現れています。
 これについても今日考えさせられることがありましたが、煩雑になるので書きません。教育の本質を知るためにはできるだけ下の方がよいと言われます。
 大学教育より高校教育、高校教育より中学教育、中学教育より小学校教育、最後は幼児教育へと進みます。下になればなるほど、知識より考える力、生き方、人間形成が重要になるのです。
 70歳になって全く異次元の世界で生活しています。でもこんな世界を知ることができて良かったと思っています。明日はのんびり過ごすつもりです。