修養会がありました。-宗教改革を学ぶ
昨日はお出かけして帰りが遅くなったのでブログをお休みしました。今日は日曜日なので教会でした。礼拝後恒例の教会修養会がありました。
修養会というのは、勉強会のことです。修養と言っても何か特別なことをするわけではありません。外部講師を呼んでやったこともあります。
当時疫病が流行し、飢饉ともなれば大勢の人が死にました。乳幼児の死亡率も高かったです。どんなにお金を稼いでもいつ死ぬか分からない時代でした。
キリスト教は明確に死後の世界について語りました。罪を犯したものは天国にいけないというのです。同時に地獄のこわさもあおりました。
罪が許されるにあたって何らかの償いが課せられました。のちには修道士などがその償いをかわってするのだという考えが出てきました。
一方で罪を告白して赦しを得る前に死んだらどうなるのかという問題が起こりました。それなら、事前に罪を許してもらっておけばよいということになります。
そうしているうちに事前に罪を許してもらうことを証明するものがあれば、死後天国へいけるのではと考えるようになります。そこで出てきたのが贖宥状の考え方です。
以前は免罪符と言っていましたが、これはちょっと違うということになり、今では贖宥状というようになりました。罪を免れるのでなく、償いによって許される証明書ともいうべきものです。
それを高額のお金で売りました。それに対してルターは赦しはそんな免状でなされるのでなく、キリストとの関係を復活することでキリストの側からなされるのだと主張したのです。
こうして人は修行や免状によって罪が許されるのでなく、ただキリストへの信仰を持つことだけでよいのだとされたのです。有名な信仰義認です。
明日は本来なら中学の仕事ですが、期末考査でありません。いろいろ書類作りがあるのでそれをします。