新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

学力格差に思う。ー遺伝的要素と後天的な要素

 今日は午前中中学の仕事で、午後から買い物とか行っていたのでブログを書くのが遅くなりました。相場は94円高で引けています。
 対ドル相場も112円台です。ところで配当金が少しづつきています。昨日は某鉄鋼株で今日は某電力株と某都銀株です。後某地銀株と某電機株が来る予定です。
 今定期預金の金利がめちゃくちゃ安いので、それに比べて配当金の多さに驚きます。今日の配当金は持ち株数が多いので万円単位になりました。
 ところで、今日も中学の仕事だったのですが、教えながら大きな学力格差に愕然とすることがあります。もとも今の中学はある産業で栄えたのですが、その産業が衰退し町全体の経済が低迷しています。
 そのため町に残った町民の生活は厳しい物があります。一方で隣接する市の住民も移り住んでいます。ですから、生徒の能力にも大きな差があります。
 今日もある生徒が「このままなら行く高校がない」と言っていました。そういいながら、授業にはあまり積極的に参加しないのです。
 学力には遺伝的要素と後天的な要素があります。遺伝的要素はどうにもなりませんが、後天的要素は何とかなるところがあるのです。
 教育における後天的要素とは家庭環境です。そもそも勉強することに価値を見出さない家庭だと子供も勉強に価値を見出しません。
 勉強しても仕方ないと思うようになります。それより手っ取り早くお金を稼ごうということになるのです。また読書の習慣や知的な会話なども後天的な要素です。
 幼い時親が童話を子どもに読み聞かせたりすると、イメージを膨らませることができます。国語能力を大きく向上させることができます。また子供の精神的安定ももたらします。
 また空の星はなぜ光のという子供の問いに、そんなことはどうでもいいと答えるのか、家に帰って図鑑で調べてみようというのでは理科的関心が大きく異なります。
 一緒に何か物を組み立てたりするのも理科的な要素になるでしょう。豊かな家庭の子供には豊かな子供時代を過ごした親がいるはずです。
 かっては皆貧しかったので兄弟で切磋琢磨しました。また、自ら学ぶことが階級上昇へとつながったのです。国公立大学の授業料も安かったです。
 ですから、アルバイトや奨学金で行くこともできました。おじさんがもらった奨学金と大学授業料が同額でした。ですから、頑張れば未来が開けたのです。
 今はそれも難しくなりました。経済的に厳し家庭の子は学力的にも厳しい状況です。今の中学でもクラスで90点以上を取る生徒の数と一桁しか得点できないこの数とが同じか一桁の子の方が多いくらいです。
 今の中学にいると本当に今まで知らなかった教育の現状が見えてきます。明日は専門学校の忘年会なのでブログはお休みです。とこおrで