ヨセフの苦悩ーイエス誕生の物語
昨日は専門学校の忘年会でした。以前はいろいろ忘年会があったのですが、今はこれだけになりました。会費に比べて内容がよいので、学校の持ち出しもかなりあると思います。
先生とくに外部からの講師を大事にしてくれている姿勢がよく表れていてうれしいです。以前勤務した専門学校の忘年会は職員が外部講師を無視して上司におせいじを言う感じでいやでした。
さて今日は日曜日なので教会でした。第一週はおじさんの教会学校説教の担当です。今日は珍しく生徒さんが誰も来ず先生ばかりの礼拝になりました。
この記述が所謂処女懐妊の根拠となるのです。夫ヨセフについて聖書は「正しい人であった」と述べます。この場合の「正しい人」は「律法に忠実な人」の意味です。
もしこのことを公にすればマリアは石打ちの刑になるのです。ヨセフはそれを望みませんでした。それで「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心する」のです。
それだけでもヨセフは良い人だと思います。マリアが別の男と関係を持ったと知ってマリアを糾弾しようとは思わなかったのです。
しかし、一方でヨセフは苦悩したと思います。マリアのことを信じているのでひそかに縁を切ることで姦淫の罪は逃れられる、しかし父親も分からない子を産むマリアと生まれてくる子はどうなるのだろうと考えたでしょう。
マリアを自業自得と責めることもできたでしょうがそうも思えなかったのです。「このようにかんがえていると、主の天使が夢に現れて」ヨセフに告げます。
当時の社会において夢は重大な意味をもっていました。それは古代イスラエルだけでなく、古代の日本でも同様です。夢は不思議な出来事と考えられたのです。
天使は「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と告げるのです。「恐れず」は以前の聖書では「恐れるな」となっていました。人間は想像できないようなことが起こった時ひどく怖れます。
どうすればよいか分からなくなるのです。その時強く「恐れるな」と言われれば勇気がでてきます。天使は生まれる子供が「自分の民を罪から救う」存在になることを告げるのです。
つまり救世主になると予言するのです。ヨセフは夢からさめるとマリアを妻として迎え入れます。また興味深いのは「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった」と言う記事です。
若いころはヨセフについて何の関心もありませんでした。しかし、大人になってみるとヨセフの苦悩が良く分かります。若いヨセフは苦悩の中で決断したのだと思います。マリアの苦悩も深かったでしょうが、それに劣らずヨセフの苦悩も大きかったと思います。
明日は本来中学の仕事ですが、土曜日バザーがあったりしたので明日は代休です。おじさんもだらだら過ごすつもりです。