新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

雪の日の思い出

 今日はこの冬一番の雪でした。本当は友人のミヤジイと会う予定でしたが、雪がひどいのでやめにしました。高速道路も全面通行止めです。
 と言ってもおじさんが子供の頃の雪に比べるとずいぶん少なくなりました。西日本なのに当時は10センチくらい積もっていました。
 それもひと冬に何回もそんなことがあるのです。50年くらい前の話なので、およそ地球温暖化と無縁の時代です。おじさんが小学生の頃と言えば昭和30年代のことです。
 その頃は雪が降ると授業は中止になって町の郊外に雪中行軍をしたものです。全校で郊外の山に行くのです。いまその山のあたりはバイパスが通って当時の面影は全くありません。
 当時は林や山がつならるところでした。おじさんの小学校のあたりは住宅街でしたが、雪中行軍に行くところは田園地帯です。
 今では完全に住宅街に変身しています。当時は田んぼが広がっていました。昭和30年代の話ですから肥えたごが田んぼにはありました。
 雪でそれに気が付かず落ちてしまい、泣き出す子もいました。今では想像もつかない話です。そもそも雪の日に突然授業をやめて全校で山に出かけるなど今では教育委員会が許してくれないでしょう。
 現在では事前に届けなければ、全校で校外にでるなどできません。とにかく安全確認が全てなのです。何かあるとすぐ保護者からクレームがでるので、今は大変です。
 子ども心に今日は雪だから授業がなくなるぞと喜んだものです。思い出に残る豪雪は昭和38年です。38豪雪と呼ばれます。
 なぜ覚えているかと言うと、高校受験の年だったからです。私立高校の受験の日で、本来学校からバスで行くはずでしたが、雪で行けなくなり歩いて行ったのを覚えています。
 今なら中止になるところでしょうが、実施されました。床が冷たいコンクリートで、受験した時とても寒かったことを覚えています。その高校は無事合格しました。公立高校の合格もしたのでそちらに行きました。
 昭和40年代大学生の時も大雪でした。ちょうど後期の試験の時で電車が動かず困ったことも覚えています。就職してからは大雪の記憶は余りありません。
 そのころから温暖化が始まったのだと思います。今日は祝日だったのでいいのですが、明日も雪との予報で心配です。明日は専門学校の授業です。