新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ペテロの召命

 今日は日曜日なので教会でした。礼拝後ミニバザーと教会学校の教師会がありました。その後書道講演会と忙しい一日でした ところで今日の説教は良く知られたペテロの召命の記事です。マタイ福音書4章18節以下の記事です。ペテロの名前をご存じない方もローマ法王はご存じだと思います。
 ペテロは初代のローマ法王とも呼ばれます。また有名なバチカン宮殿の地下にペテロの墓があって、そこにはペテロの遺骸があるとも言われます。
 ペテロはイエスの一番最初の弟子なのです。ところでペテロはどんな人なのでしょう。学者・役人・商売人・医者そのどれにも当てはまりません。
 彼は魚を獲る漁師だったのです。聖書によるとイエスガリラヤ湖畔を歩いていました。そこにペテロとアンドレという兄弟が「湖で網をうっていた」のです。イエスはそれを「ご覧になった」とあります。
 この「ご覧になった」という言葉の原語は「しっかりと見る」とか「みつめる」といういみなのだそうです。何となく見たといった軽い意味ではないのです。
 そして、二人の兄弟に「わたしについてきなさい。人間を獲る漁師にしよう。」と言うのです。二人の兄弟にとっては驚くべき言葉でした。
 普通であれば、この人は何を言っているのだろう、ちょとおかしいのではと思うところです。もし二人がそう思ったなら、二人は名もない古代の漁師として誰からも知られず人生を終わったでしょう。
 しかし、二人の答えは「二人はすぐ網を捨てて従」うというものでした。なぜ二人が漁師をやめてイエスの従ったのでしょう。漁師の仕事がいやだったわけではないと思います。
 事実イエスが十字架にかけられた後二人はまた漁師に戻っています。漁師に戻った二人の前に復活したイエスが現れる記事が後の方にでてきます。
 イエスの求めに答えることを召命と言います。命令で召されるという意味です。よく似た言葉に献身というのがあります。
 牧師になった時、自分に召命があったいう人もいます。いつだれにどのような召命があるか分かりません。もちろん召命があったとしてもそれに答えない人もいます。
 ペテロ以前にもイエスの求めにあった人がいたかもしれません。しかし、その人たちの記事はありません。ペテロたちもイエスがどのような人であるのかそんなに分かっていなかったと思います。
 しかし、ペテロたちは、あなたがそうおっしゃるならと思って従ったと思います。信仰とはそのようものです。良く分かったから信じるのではなく、あなたがそうおっしゃるならついていきましょうといったようなものです。
 おじさんもこの箇所の「わたしについてきなさい。」という言葉に感じて洗礼を受けました。それから50年以上経過しました。今振り返ってもその時の決心に後悔はありません。
 残りの人生も少なくなりました。男性の平均寿命でいえば残り10年です。後悔のない人生を生きることができて幸せだと思います。明日は中学の仕事に行った後確定申告に行く予定です。