新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

5年前の今日ーツマクマのがん告知

 今日は仕事がなかったので、溜まっていた家事をこなしました。家の掃除に洗濯、外回りの整備に洗車です。2年前にした雨漏り工事の定期点検も来ました。その後本屋に行ったりしていたら一日終わりました。
 相場は大幅安です。さすがに今日はおじさんの持ち株も全面安でした。ところで、今日は5年前ツマクマのがんが告知された日です。
 昨日のことのように思い出します。亡くなってすでに2年半近く経過しました。闘病生活は2年半近くに及んだのです。おじさんとしてはできる限りのことをしたし、治療スタッフの方も介護スタッフの方も最後の緩和ケアーのスタッフの方も皆いい方で後悔はありません。
 発端は6年前の11月のことです。咳がとまらないというので近くのかかりつけ医に行きました。多分気管支炎だろうということで薬をもらいました。
 残念なことにその病院はレントゲン設備が故障していてレントゲンを撮らなかったのです。もし、この時点でレントゲンをとっていたら、転移まではなかったと思います。
 その年の夏の集団検診で分かっていたらとも思います。これも運命なのでしょう。かかりつけ医に文句を言ったことはありません。
 前の日に知り合いの総合病院の院長の奥さんから、病状が続くなら、うちの病院で診てもらったらといわれたのです。行くと明日すぐ近くの医科大に行きなさいと言われたのです。
 そして、行ったら若い女医さんからステージⅣで手術はできませんと言われました。同時に維持療法でできるだけ長く生きれるようにしますとも言われました。
 さらに詳しく検査するために入院するようにと言われたのです。ツマクマはのんきな人なので、すぐ事態の深刻さが分かりませんでした。
 その時も取り乱したりしませんでした。本当に不安症状がでたのは、半年くらいして一度治療して退院してからです。自宅通院で抗がん剤を投与しますということで退院したのです。
 家に帰ってから急に不安症状がでました。しかし、生来明るい性格だったので、1月ほどで収まりました。もう一度不安症状がでたのは、治療を打ち切って自宅で残りの時間を過ごすようにと言われた時です。
 この時も短時間で回復し、亡くなるまでの7ケ月を普段通りの精神状態で過ごすことができました。ガン告知を受けて落ち込んで鬱状態になる人も多いのですが、そうならなかったので良かったと思います。
 人によっては診断後、ネットでいろいろ調べる人もいますが、ツマクマはそんなことはありませんでした。おじさんは抗がん剤を使うたびに黙ってネットで効果などを調べていました。
 なくなった後数か月は辛かったです。その後仕事を始めたり、いろいろなことがあったりして、時間だけが過ぎていきました。おじさんも古希になりました。
 男性の平均寿命でいえば残り10年です。残りの時間を悔いのないように過ごそうと思っています。4月から一つ仕事を確保しました。もう少し働きたいと思って、県立学校の講師登録と中学講師の登録をするつもりです。
 働ける限り働こうと思っています。週末は忙しいのでブログはお休みです。