新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

不思議な運命ー若田部先生のこと

 今日は仕事もなく、のんびり過ごしました。株式市場はアメリカ市場の値上がりを受けて、300円以上の値上がりで引けました。アメリカ市場の値上がりとほぼ同じ数字でした。
 やっと相場も底打ちなのかもしれません。それにともなって、対ドル相場も106円台を回復しています。ところで先日日銀副総裁に若田部教授の就任が確定したようです。
 若田部先生についてはいささかですが、ご縁があります。おじさんの身内が若田部先生のゼミ生だったのです。20年以上前の話です。
 同じゼミでも入ゼミ試験があるほど人気のゼミもあれば、わずか数人のマイナーなゼミもあるのです。若田部ゼミはそのマイナーな部類に入っていました。
 もちろんそれは身内の言葉です。もし、20年後若田部先生が日銀の副総裁になると知っていたら、大勢の学生がゼミに押し掛けたでしょう。当時身内に聞いた話ではゼミ生は5人だったそうです。
 その当時聞いたのは若田部先生は日本経済史の専門家だということです。おじさんも経済史には興味があったので、身内に聞いて著書を読みました。
 昭和大恐慌について書かれていたと思います。金解禁について触れていたと思います。当時からリフレ派で大量の資金を市場に投入すれば景気は良くなるという主張でした。
 まだ当時はリフレ派の力は強くなかったのでそれほど注目されませんでした。おじさんはリフレ派と反対の立場なので、一度会って話を聞きたいと思ったものです。
 もし、その時会っていたら結構自慢できたと思います。もちろん若田部先生もまさか自分が20年後に日銀副総裁になるなど全く予想していなかったと思います。
 10年前でも無理でしょう。その頃の自民党は全く不人気で数年して民主党政権ができたのですから。人間の運命は不思議なものです。
 おじさんも50代つまり中国に行く10年前に自分が中国の大学で教えるなど想像もしていませんでした。またツマクマががんで亡くなることも全く想像していませんでした。
 ということは10年後の自分の、姿も想像できません。そもそも自分が生きているのかさえ分かりません。20代から60代に入るまでは、毎年勤務場所は違っても高校教師として生きていきました。
 しかし、60代になってまさかの人生を歩んでいます。4月からの新学期に向けて教師登録を進めています。県の中学と高校、政令指定都市の中学の登録、県内第三位の年の中学の講師登録と取りあえず4か所に登録するつもりです。
 すでに3か所終わったので、次は県内第三位の都市の中学講師登録をするつもりです。ここは小学校の算数と国語指導講師も募集しているようなので、中学と併願してみようと思っています。
 もし小学校で教えることになったら、大学院から小学校までということになります。明日ものんびり過ごします。