新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中学の同窓会の案内が来ました。

 今日は中学の仕事でした。相方さんが小学校の卒業式に行っていてので、初めて一人で授業しました。最初は緊張しましたが、だんだん慣れてきて言いたいことを言いました。
 来週の月曜日で中学の仕事も終わりです。4月以降どうなるか不明です。専門学校の方は雇用関係書類が送ってきたので返送しました。
 これで専門学校の仕事は確定しました。まあ余り無理をせず働こうと思っています。ところで、今日中学の同窓会の案内が来ていました。
 なつかしいです。20年くらい前一度中学の同窓会がありました。それは同期会です。おじさんの時代、子供が大勢いました。
 おじさんの中学も12クラスありました。おじさんは11組です。全校で1000人を超えていました。中学のグランド隅々まで使わないと入りきれないほどでした。
 教室も不足したので、特別教室も皆クラスとして使っていました。3年12組は何と技術実習室でした。そのため、天井がありませんでした。
 もちろん音楽教室も書道教室も普通教室として使ったのです。先生も不足して、小学校の先生で中学の免許をもっている人がきました。
 小学校でも中学でも同じ先生だったという生徒もいました。当時中学生は荒れていました。他校から殴り込みにくるなどと言う噂が出たものです。
 そんな時当時不良と言われた中学生はチェーンとか木刀とかを学校にもってきたものです。ナイフなども隠し持っていたようです。
 先生の方も戦争から帰ってきた人も多かったです。そのためあらっぽかったです。体罰は普通でした。ただ当時はまだ先生を尊敬していたので、対教師暴力などありませんでした。
 今回の同窓会のリーダーは当時から秀才で有名だった生徒です。お父さんは当時市長さんでした。当時の生徒ならだれでもそれを知っていました。
 彼は後に評論家になってテレビのコメンテーターになりました。何気なくテレビを見たら、知った名前の人が出ていたので見たら彼でした。
 今回の同窓会は古希を記念してです。多分次の同窓会はないでしょう。すでに70歳ですから、開催日時も平日の午後です。おじさんは働いている日なので、急がなければならない時間です。
 おじさんの中学がすでにありません。ライバル中学と統合されました。
  小学校も統合されてありません。高校も普通科高校から総合高校に衣替えしました。以前と同じなのは大学と大学院だけです。
 人生最後の中学同窓会です。もちろん出席と返事を出しました。同窓生と会うのが楽しみです。明日は家族寄りです。息子が東京から友人の結婚式で帰ってくるので、皆で会うことにしたのです。