新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

古希同窓会がありました。-中学

 今日は古希記念の同窓会がありました。中学を卒業して55年になります。おじさんは団塊の世代なので、当時1学年600人もいました。
 1クラス50人で12クラスです。55年も経過しているのでそれほど人も集まらないだろうと思ったら何と100人近くの人が集まりました。
 おじさんは3年11組です。男女ともとても仲の良いクラスでした。50代の頃同窓会をしたことがあります。その時は20人以上の人が集まってくれました。
 今日は13人くらい来てくれました。クラス切っての秀才の人も来てくれました。彼は某旧帝国大学気象大学校の二つに合格して気象大学校に行きました。
 気象台を定年後は気ままに生きているそうです。もう一人の秀才は旧帝大の工学部に行って某鉄鋼メーカーに入りました。土木系だったので、今は小さな建設会社の社長をしているそうです。
 名古屋から来てくれました。もう一人名古屋から来てくれた人もいます。家の近くに住んでいた別のクラスの友達も来ていました。
 家の近くの公園には大勢小学生がいました。そのリーダーだった人です。小学生相手とはいえ6年生から1年生まで30人近く子供を統率するのは大変です。
 ゲームの時やサッカーの時のメンバー分けなどもあります。ドラえもんに出てくる公園みたいな感じです。そこで組織運営について学んだことは大人になって役にたちました。
 中学生の時の文芸誌も展示してありました。おじさんは俳句クラブというのに入っていました。別段俳句が好きなわけではなかったのですが、友人に誘われて入ったのです。
 おじさんの句はたいしたことなかったのですが、誘ってくれば友人は中学生の雑誌に投稿して入選しました。女性では、いつも一緒に帰ったけんかしていた子が来ていました。
 もちろんおじさんもその時のことを覚えていますが、彼女もよく覚えていました。ツマクマそっくりな性格で、彼女がご主人に言うのと、ツマクマがおじさんに言うのが全く同じなので笑ってしまいました。
 もちろん彼女のご主人が言うセリフもおじさんと同じです。当時は全く恋愛感情はなかったのですが、とてもうまがあっていたのでしょう。
 当時大柄でお姉さん風だった同級生の女の子は今もその雰囲気がありました。おじさんさん以外にもまだ働いている人が大勢いました。
 70歳になってもまだ働ける限り働くのだそうです。もちろん大病をしたという報告もありました。次の同窓会は無理なのかもしれません。
 思えば遠くに来たものだという気持ちです。明日は専門学校の入学式に行きます。