新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

救いはどこから来るのかー今日の説教から

 今日は日曜日なので教会でした。事情があって、以前通っていた教会と別の教会に行っています。以前通っていた教会は郊外の新興住宅街の中にありましたが、今通っている教会は繁華街にあります。
 以前通っていた中国の教会も繁華街にありました。一番賑やかな中心から教会の塔が見えるのです。今通っている教会の牧師さんは30代くらいです。
 分かりやすい話をします。今日の説教で一番心を打たれた話からブログを書いています。それは100年くらい前の中国でのことです。
 若き女性の宣教師が中国の南京郊外の小さな村にやってきました。彼女は村で伝道を始めるのです。言葉も通じないで苦労したようです。
 そして、次第に村人とも親しくなりました。そんな時身寄りのない子供を預かるようになるのです。だんだん数が増えてとうとう100人近くになりました。
 そんな時日中戦争になり、彼女の板村にも日本軍が迫ってきました。彼女は当時安全だった西安に子供達を逃がそうとします。
 大きな道は日本軍が占領していたので山の中を通って逃げてきました。しかし、黄河まで来て、向こうに渡る手段がなくなったのです。日本軍が迫ってきていてどうしてよいか分からなくなります。
 もうこれまでかと思った時、一人の子供が先生モーセの時は水が割れて海を渡ることができたのでしょと言いました。自分はモーセではないので水を割ることはできないといったそうです。
 するとでもモーセと同じ神様を信じているのでしょとも言ったそうです。彼女は気を取り直して神に祈ったそうです。すると近くを通りかかった中国人の軍人がボートを出してくれたので無事渡ることができたそうです。
 この話は映画にもなったそうです。救いは思いがけないところからやってきます。おじさんも何度か経験しました。多分こうなってうまくいくだろうということはないのです。
 こんなことがあるのかという形で解決がなされます。多くの場合、思いがけない人が遣わされて、おもいがけない形で解決しました。
 現代では水が割れて道ができたりしませんが、なぜか突然ボートを貸してくれる人が現れるのです。それを偶然だというかもしれません。
 しかし、そんな都合よくボートを持った軍人が通りかかったりはしません。おじさんがツマクマを看病した時も、教会学校の教え子だった医者とある高校の教え子が看護師としてサポートしてくれました。
 50年まえの教え子と40年前の教え子が二人でツマクマをサポートしてくれたことは、とても偶然と思えません。不思議な運命と言った方が適切だと思います。
 おじさんは今大きな問題の解決のため努力しています。やってもやってもいろいろ問題が出てきます。とても乗り越えられないような気もします。
 毎日の祈りの一番先にそのことを祈っています。しかし、今日の説教を聞いて少し救われた気がします。おじさんもモーセも先述した女性宣教師も皆同じ神を信じているのです。
 モーセに起こった奇跡も、あの女性宣教師に起こった出来事も、皆おじさんが信じる神が起こしたことです。きっとおじさんが抱える問題にも神の救いが与えられると確信できました。
 「救いはいずかたより来たるか」という言葉はちなみに讃美歌の一節です。明日は中学の仕事です。