道徳教育の根本理念は正直では。
今日は専門学校の仕事でした。学生さんのほとんどは、日本語学習よりアルバイト優先なので、授業中は休息の時間です。
少しくらい日本語できてもそれほど就職に有利なわけではありません。まあ日本政府の政策の犠牲ともいうべきものです。学生さんのほとんどが、もし労働者として受け入れると政府がいえばすぐ、学校をやめるでしょう。
ところで、日大アメフト部問題や加計問題などを通して正直とは何かについて考えさせられました。明らかに不正直なのは指導者や官僚です。
中には正直に行動する人も出てきます。今回の日大アメフト問題の中心人物です。すべて正直に話していると思います。しかし、監督やコーチがそれを認めたら全てを失います。
それが怖いから正直に言えないのです。安倍首相も加計問題でうその証言をしているようです。まあそれを認めれば全てを失うので認められないでしょう。
安倍政権は道徳教育を教科として採用されるようですが、道徳教育の根底は「正直であれ」ではないでしょうか。以前「トラスト」というフランシスフクヤマという人の本を読んだことがあります。
信頼のない社会はとても負担の重い社会だと書かれています。信頼の根底には正直というものがあります。うそが堂々と通用する社会は信頼に足る社会とは思えません。
日大についていえば、選手の発言を認めることはできないでしょう。もし認めれば日大の首脳陣の一人である監督は辞職ということになるし、日大の評価は地に落ちるでしょう。
しかし、認めなくてもすでに日大の評価は地に落ちています。安倍首相を信頼している有権者は少ないと思います。これではアベ政権が道徳教育の強化を主張しても誰も信じないでしょう。
以前田中元首相がやはり道徳教育について発言したことがありましたが、彼自身が逮捕起訴されてしまいました。なまじ道徳教育について触れたりすれば、それが自分に反ってくるのです。
それにしても今回日大の学生さんだけが正直に真実を語っていたと思います。加計学園問題に関連する官僚が正直にすべてを話せば、その官僚は個人としては歴史に名前を残すでしょう。
もちろんその代りすべての経済的社会的地位を奪われるでしょう。昔の人は名を惜しんだものですが、現代人は名より経済的社会的恩恵を惜しむのでしょう。明らかにうその証言を重ねた某財務官量は名を失ったけれど、経済的社会的恩恵を被るのでしょう。
明日は中学の仕事です。