新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中学生を教えて思たことー見えなかったものが見えます。

 今日は中学の仕事でした。朝1限目から4限目まで連続授業です。と言っても今日は期末考査の答案返しなので授業はなしです。おまけに生徒さんも、いつになく真剣で余り騒がず助かりました。
 それにしても、成績の格差には驚かされます。100点近い生徒もいれば、一けた台の得点の生徒もいます。20点代の生徒も複数います。
 中学2年の国語で40点以下となると将来どうなるのだろうと思います。だからと言って低い得点でも勉強しなければという切実感もありません。おじさんは県立普通科高校ばかりでしたから、前述したような生徒に会うことはなかったのです。
 中学校間の格差もあると思いました。都市部の住宅街にある中学ならこの問題の平均点は80点以上になるだろうとも思いました。(おじさんの中学では平均60点)ただ、おもしろいことに、合格して入ってくる生徒のその後の成績は中学校間の格差とは無関係です。つまり、教育困難校から来た生徒も、都市部の勉強熱心な保護者の多い中学から来た生徒もその後の成績に有意な差はないということです。
 ちょうど小学校の算数の勉強と中学の数学の勉強が全く別なのに似ています。国語でいえば、中学では古文や漢文の割合はとても小さいです。
 ところが、高校では現代文と同じくらい古文漢文の比率が高いです。古文読解には文語文法が必要です。これはどこの中学でも教えません。
 漢文の訓読に必要な独特の句法・語法があります。これも高校で初めて習うのです。数学でも中学では微分積分のベクトルも複素数も教えません。
 ですから、どこの中学を出てもスタートラインは同じなのです。そういえば、合格判定会議ではいつも中学から来る内申点について、中学校間の格差を考慮すべきだという意見が出ました。
 確かに中学で仕事をしてみて、納得できました。しかし、よく言われる地頭(じあたま)の良しあしはどこの中学でも同じなのです。どんな教育困難校であっても、市内一の良い環境の中学であっても、内申点の高い生徒はそれなりに優秀なのです。
 良い環境の生徒が良くできるのは納得できると思いますが、教育困難校であっても90点を取る生徒はどうでしょう。もっと難しい試験のでる、環境の良い中学では成績が落ちるのでしょうか。
 そんなことはないのです。教育困難校でよくできる生徒は劣悪な教育環境であっても、マイペースで勉強しているのです。逆に環境の良い中学の生徒は、塾などで要領よく勉強する訓練を受けているのです。
 ところが、高校レベルの勉強は要領だけでは無理です。おじさんが高校に在職していた時よく田舎秀才という言葉を使いました。
 地域一番の進学校では、その高校に一人か二人しか来ない中学の出身者が高校に入って伸びると言っていました。逆にその高校に数十人も合格する中学の卒業生は余り伸びないと言っていました。
 数人しか来ない中学の生徒は、塾などで受験の要領を学ばずこつこつ自分で努力して良い成績を取っているのです。その学びの習慣がとても大切なのです。
 中国の大学で教えて居る時もそうでした。都市部の外国語高校出身の学生は余り大学で伸びないのです。日本人など見たこともない地域の学生の方が後で伸びました。
 というのは外国語高校出身の学生は基礎の段階を軽視するのです。日本語を始めて学ぶ学生はそれこそあいうえおの書き方から学びます。
 外国語高校出身の学生はそんなものはばかばかしくて真面目に勉強する気になれないのです。そうして怠けているうちに、勉強する習慣が薄れます。
 ちょっと勉強すれば追いつくと思っているうちに、どんどん進んで追いつかなくなるのです。中学で仕事をすると今まで見えなかったものが見えてくるようになりました。
 新しい経験ですが、とても新鮮です。明日は専門学校の授業です。