新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

イエスの裁判

 今日は日曜日なので教会でした。最近行きだした教会です。今日は韓国人の方が大勢きていました。
 多分観光客だと思います。韓国では日本と違ってキリスト教が盛んなのです。こちらはプロテスタントです。アジアではフィリッピンキリスト教国です。こちらはカソリックです。スペインの植民地だったことが影響していると思います。
 ところで今日の説教はマルコ福音書14章55節以下からです。この箇所のサブタイトルは「最高法院で裁判を受ける」です。
 夜逮捕されたイエスは最高法院に連れてこられます。裁判所というより、個人の屋敷のようなところです。江戸時代でもしばしば奉行の屋敷が裁判の場になりました。
 そこは大祭司の屋敷だったようです。大祭司をトップに祭司長・長老・律法学者などが招集されました。夜に逮捕されて、深夜に裁判が始まったのです。
 異例中の異例の出来事です。もちろん、裁判の判決は決まっていました。「祭司長たちと最高法院の全員は、イエスを死刑にするため」とあるように、参加者全員がイエスを死刑にすることで一致していたのです。
 客観的な証拠を集めるのが難しかった時代、裁判は証言をもとに行われました。ちろん、大祭司たちも証人を用意していたのですが、準備の時間があまりありませんでした。
 そのため証人たちの証言はく違っていました。イエスの有罪を立証しなければ死刑判決は下せません。裁判の場には大勢の群衆もいたからです。
 そこで大祭司は言葉のわなを仕掛けます。「おまえは、ほむべきかたの子、メシアなのか」と尋ねます。もし、そうだと言えば神の子を騙る不届きものと言うことになるし、否定すればそれまでの説教と矛盾し、信者は落胆するでしょう。イエスはうそつきだと非難することもできるのです。
 イエスは「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と
言います。これを聞いて大祭司は激怒します。大祭司は「諸君は冒涜の言葉を聞いた」と言います。非常にドラマチックな場面です。まるで時間を越えてその場に臨場しているような気持になります。
 こうして「一同は死刑にすべきだと決議」するのです。実はこれで裁判は終わらないのです。この後イエスはローマの総督であるピラトに引き渡されます。
 ピラトとイエスの対話についてはなかなか興味深いものがあります。ピラトは総督になるほどですから優秀であったと思います。イスラエルはローマの植民地の中でも治めるのに難しい地域だったのです。
 大祭司は後の使徒信条で非難されませんが、ピラトは「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け」と使徒信条に書かれるのです。
 おじさんはピラトとイエスの対話を読む限り、ピラトはそれなりにいい人だと思うのですが、使徒信条にあのように書かれて、永遠に読まれ続けるのはお気の毒だと思います。
 明日は台風の影響もありそうなので家で過ごします。