新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ペテロの否定

 昨日はショッピングモールに買い物に行った後、近くの温泉に行きました。温泉は以前ツマクマと一度行ったことのあるところです。30年くらい前でした。その頃と比べて格段にきれいになっていました。
 薬湯が有名なひなびた温泉です。今日は日曜日なので教会でした。今マルコ福音書の連続説教があっています。先週はイエスの裁判でした。今日はペテロの否定という有名な場面です。
 西洋絵画などにも描かれる有名な場面です。以前から書いているように、4つの福音書に共通して出てくる話と、いくつかの福音書にしか出てこない話があります。
 クリスマスはキリスト教で一番大事が行事のように考えられていますが、2つの福音書にしか出てないのです。イエスの死と復活の話は全ての福音書にでています。
 ペテロの否認もすべての福音書にでています。ペテロは後にローマカソリックの初代法王とも言われる人なのに何とイエスを3度も否認しているのです。
 否認というと分かりにくいのですが、イエスなんか私と関係ないといったのです。人間いざという時に本当の姿が出るといいます。イエスが捕えられた後、裁判にかけられます。
 イエスが捕えられた後、弟子たちは皆逃げていってしまったのです。それでもペテロはイエスのことが心配になって裁判を傍聴に行きます。夜のことで寒かったので彼はたきびにあたっていました。
 すると屋敷の女中がこの人はイエスに従っていた人だと指摘するのです。彼は否定するのです。そして弁解するとお前に言葉はイエスの出身地のなまりがあると指摘されます。
 ペテロは呪いの言葉を使ってまで関係を否認したとあります。そしてその時鶏が鳴くのです。以前イエスからお前は鶏がなく前に私を否認するだろうと予言されていたのです。
 そんことを思い出して彼は泣きます。ある聖書では「激しく泣いた」とも書かれています。もし、ペテロが復活のイエスに出会わなかったら、彼は後悔の中で一生を過ごしたでしょう。
 その代り苦難の伝道をすることもありませんでした。ペテロは復活のイエスに出会い、伝道をするように諭されます。そして、彼はローマで殉教したと伝えられます。
 伝説によれば、十字架にかけられた時、このままでは師イエスと同じなので逆さ十字架にしてくれと言ったそうです。これも伝説と思うのですが、バチカンの地下にはペテロの墓があるとも聞いています。
 そこに行けるのは代々の法王のみであるとも言われます。この箇所を読むたびに、2000年前の出来事ながら、あたかも眼前で起こった出来事のような気がします。
 明日はのんびり過ごします。