「新しいぶどう酒は新しい革袋に」
今日は久しぶりに以前通っていた教会に行きました。大体月に1回以前通っていた教会に行っています。今日の説教はマタイ福音書9章14節以下からです。
当時も現代も神や仏から救いを得るためには、苦行をする必要があると考えられたのです。苦行や修行をして、俗世の欲望を絶つことで救いが得られると考えたのです。
だらけた世俗の生活をしていては救いは得られないと考えるのは誠にもって納得がいきます。厳しい修行のはてに救いがあるといえば、納得できます。
新しいぶどう酒を古い革袋に入れると、袋は裂けてしまうというのです。これは当時の生活から来た教えだったのでしょう。あたらしいぶどう酒は発酵がまだ活発で、膨張するので古い革袋に入れると裂けてしまうのでしょう。
実はその前に「織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎをあてたりはしない。」とあります。これも当時の生活の常識だったのでしょう。新しい布は洗うと縮むので、古い布を引っ張って破ってしまうのです。
自分の努力の結果救われるのではなく、キリストの十字架の贖いによって救われるとするものです。では何もしなくて良いのかといえば、いつもキリストとつながっていなければなりません。
明日は家の仕事をします。