新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ピラトの選択ー真理より政治的判断を

 今日は日曜日なので教会でした。新しく行くようになった教会です。以前行っていた教会の牧師さんに比べてとても若いです。多分30代後半だと思います。
 ただ説教は分かりやすくおもしろいです。若い方なのでスクリーンに絵画などを映し出して説明します。今日の説教はマルコ福音書15章6節以下です、
 サブタイトルは「死刑判決を受ける」です。イエスは祭司長たちによって死刑判決を受けます。しかし、十字架刑はローマの処刑方法なのでローマ総督の判決が必要だったのです。
 そこで当時のローマ総督だったポンテオピラトに引き渡します。ピラトはイエスを尋問するのですが、イエスに罪を見つけることはできません。
 ルカ福音書23章5節によれば、ピラトは「私はこの男に何の罪もみいだせない」とまで言います。これは当然でイエスキリストには何の罪もないのですから。
 しかし、このままイエスを無罪釈放してしまえば、祭司長たちは納得しないでしょう。どの時代でも為政者が宗教指導者と対決するのは政治的に好ましくありません。
 現代中国でも仏教界やキリスト教界の動向に共産党幹部は目を光らせています。イスラム教国において、宗教指導者が政治に巨大な影響力を持ち続けているのは良く知られています。
 日本でも僧兵に中世の政権は苦しめられました。ですから、ピラトも祭司長たちの決定を覆すわけにはいかなかったのです。そこで、妥協案を出します。
 当時祭りの時に罪人を一人釈放する習慣があったのです。ピラトはこれを利用して「あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」と呼びかけます。
 当時イエスは人気があったので、皆が釈放せよと叫べば、自分の良心も痛まず、政治的にも傷つかないで済みます。しかし、祭司長たちはピラトの意図を知って、当時人気のあった反政府運動家バラバの釈放へと群衆を扇動します。バラバはローマへの反政府活動の際人を殺して逮捕されていたのです。
 ユダヤの群衆はイエスこそローマからイスラエルを独立させる英雄だと考えていたのです。しかし、イエスが説くのはそんな政治的な課題ではなく、罪の問題なのです。
 人々はイエスに絶望してそれならと、人気のある活動家を支持したのです。祭司長たちもそのことを知っていて扇動したと思います。
 結局イエスは十字架にかけられます。ところで、総督ピラトはどうなったでしょう。政治的にはその後失脚し歴史の中からは消えます。祭司長たちも国を失い、イスラエルの民も流浪の民となります。
 逆に十字架にかけられたイエスの教えは世界に広まり、2000年の長きに渡って続きます。不思議なものですね。明日は市の検診に行きます。