新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

人生の後悔と人生の選択

 このところ忙しくてブログを書いていませんでした。このところ相場は値上がりを続けています。株式相場も24000円台を越えました。1月前には予想もしなかったことです。対ドル相場も113円台にきています。
 ところで今日は人生を振り返ってみて思うことを書いてみます。実は先日中学の仕事をしているとき、生徒さんから、「先生何か後悔したことはありますか。」と聞かれました。
 おじさんは、今のところ人生に大きな後悔はありません。しかし、あの時あちらを選択していたらどんな人生を歩んでいただろうと思うことはあります。
 今日はそのことについて書きます。最初の選択は高校受験の時に来ました。地域一番の高校に行くか二番手にするかです。一番の高校に行っても上位にいるのは難しいです。二番手なら上位にいることができます。
 まさに「鶏口牛後」です。上位にいるという自信はその後とても役に立ちました。人から褒められるということは気分の良いものです。また自信はチャレンジにもつながりました。
 次の選択は大学受験です。これは大きな人生の選択でした。合格したのが、文学部と経済学部です。どちらに行ってもよいと言われました。親代わりの兄は先生はつぶしがきかないし、給料も安いので経済に行ってサラリーマンになれと言いました。
 しかし、先生になりたかったので文学部に進学しました。これは人生最大の成功です。そのおかげで、71歳になる今でも学校の仕事をすることができました。
 大学を卒業した時も選択がまっていました。大学院と中学と高校の先生の試験に合格しました。大学時代の恩師は研究者は大変だから高校の先生がいいよと言われました。
 もし、あの時大学の恩師ががんばって研究者になりなさいと言っていたら人生は違っていたと思います。中学は滑り止めだったので高校の先生になりました。
 次は近畿地方の高校から地元の高校に帰る選択です。その頃結婚していてツマクマの親が強く地元に帰るのを望んだのです。近畿地方の高校では共稼ぎでした。おじさんは県立高校・ツマクマは市立保育所の保母でした。
 ともに公務員だったので、あのまま近畿地方で過ごしたら退職金と年金も相当あったと思います。地元に帰ったのはそれはそれでよかったです。
 家を建てる時も選択でした。最初は県庁所在地の高校でした。ですから普通であれば、そのまま県庁所在地に家を建てることになったのですが、やはりツマクマの親が地元に建ててほしいということで、地元に帰りました。
 最後の選択は定年後の人生です。海外で働くという夢のようなことを考えました。そのため日本語教師養成講座に行き、事実海外で働くことができました。
 定年後そのまま働くという選択もあったのです。人生の選択でどれを選ぶか、原則選択は一つしかできません。
 選択の結果は所詮自分で取るしかないのです。ただどんな場所でも与えられたところで頑張れば意味があるとは思いました。
 来年も非常勤の先についてチャレンジしてみようと思っています。明日は仕事もないのでのんびり過ごします。。