新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

マルコ福音書ー書かれなかった復活の事実

 また忙しかったので、ブログを休んでいましたが、今日は時間があるので書いています。今日は日曜日なので、教会でした。
 先週は所用で教会に行けませんでした。実は先週は東京神学大学の教授の説教と講演会があったのです。聞きたかったのですが、残念でした。来週は神学大学の神学生の説教があります。
 今日の説教はマルコ福音書の最後の箇所です。4福音書の中で一番古いのがマルコ福音書だと言われます。マルコ福音書の最後の言葉によれば、イエスの復活の事実を知った婦人たちは「墓を出て逃げ去って」とあります。それだけでなく「震え上がり正気を失って」しまいます。
 「そして、誰にも何も言わなかった」のです。一番古い福音書であるマルコ福音書の記述が事実なら、イエスの復活は誰にも知られず、キリスト教も現在まで存在しなかったでしょう。
 なぜマルコは復活の事実を書かなかったのかという謎が残ります。しかし、他の福音書が物語るのは復活のイエスに弟子たちがあったとします。
 そして、マルコ福音書には「結び」の形で復活のイエスに弟子たちが出会う話がでてきます。これは後に書かれたマタイ・ルカ・ヨハネ福音書の記述をもとに書かれたと思われます。
 そして、マルコ福音書に書き加えたのはマルコの弟子であると言われます。マルコ福音書が書かれて60年くらい後のことだと思われます。
 マルコ自身はこの結びについては知らなかったといわれます。マルコ自身が知らない結びが後に書き加えらたというのもおもしろいです。
 キリスト教最大のポイントは復活の事実なのです。もしイエスの復活の事実がなければ、キリスト教は単なるユダヤ教の一派として歴史の中に埋まったと思います。
 3福音書に共通して弟子たちが復活のイエスと出会った記事があります。3福音書の記者はこの事実が一度逃げ出した弟子たちを信仰へと立ち戻らせました。
 一度逃げだした人間の信仰を取り戻すためにはよほどの出来事が必要です。復活したイエスに出会うほどの事実がなければ信仰に立ち返ることはできなかったでしょう。
 マルコ福音書には復活のイエスと出会った記事ありませんが、この復活の事実が弟子たちを伝道へと導き現在のキリスト教の布教があるのだと思います。
 明日は中学の仕事です。